ウィルタ
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ウィルタ、オロッコUilta, Orok
武装したウィルタ人(20世紀前半、南樺太)
総人口
ロシア 295人(2010年国勢調査)
 ウクライナ 959人(2001年国勢調査)
日本 約20人(1989年推計)
居住地域
ロシア サハリン州
ウクライナ
日本 北海道
言語
ウィルタ語ロシア語ウクライナ語日本語
宗教
正教シャーマニズム
関連する民族
アイヌニヴフウリチナナイ

ウィルタ(ウィルタ語: уилта、ロシア語: Ороки)は、ロシア連邦サハリン州樺太(サハリン島)東岸を主な居住域とする少数民族で、ツングース系に属する[1][注釈 1]。その生活の舞台は、伝統的には樺太中部の幌内川流域と北部のロモウ川流域であった。アイヌからはオロッコ (Orokko) と呼ばれた[2][3]オロチ族ないしオロチョン族と混同されることもあるが、異なる民族である[4]。本来の言語はツングース諸語の系統であるウィルタ語である[5]。なお、言語学者を中心にUiltaを「ウイルタ」と書くこともある。
居住域と人口ロシア極東地方の2010年国勢調査におけるウィルタ集落

ウィルタは、ロシア連邦による2002年の国勢調査ではロシア国内に346人おり、そのうち、298人はサハリン(樺太)で生活している。主な居住域は、かつてはサハリン島の中部から北部にかけての東岸(幌内川・ロモウ川流域)であったが、2002年の調査ではサハリン島南部のポロナイスク(旧敷香郡敷香町)に119人、北部ノグリキ地区のヴァル村に105人住んでおり、この2箇所に集中している。それ以外では、ノグリキ地区のノグリキ村、ポロナイスク地区のガステロ村とヴァフルシェフ村のほか、アレクサンドロフスク・サハリンスキー地区のヴィアフトゥ村、スミルニフ地区のスミルヌイク村、オハ地区ユジノサハリンスク豊原)などに散らばっている。ウクライナの人口調査では、自身ウィルタ(オロッコ)に属すると答えた人が959人におよんだものの、ウィルタ語を母語とすると答えた人は12人(1.25パーセント)だけであった[注釈 2]。サハリンでは、彼らはニヴフ(ギリヤーク)と近接し、共生している[3]

人口については、すべての国勢調査がウィルタを独立した民族として扱っているわけではないので、詳細な情報を得るのは困難である[3][注釈 3]1926年段階では、北部に162人、南部を含めた総人口は約460人であった[3]1960年では南部のウィルタが160人から170人程度、1989年には全体で約190人という情報がある[3]。戦争の影響や通婚が進んだ影響もあって、自らの出自を名乗らない人も多いため、2012年段階で、多く見積もってもせいぜい300人程度ではないかとも推計されている[2]。なお、民族学者のZ・ソコロフは1990年発行の雑誌『ソビエト民族誌』のなかでウィルタ族とオロチ族の人口は1979年から1989年までの10年で7.7パーセント減少したことに言及している[3]
民族名称

この民族の、他の極東諸民族と区別されるユニークな特徴は、民族グループに与えられる呼称の並外れた多さであり、それは、ウィルタのほか、オロッコ、オロク、オラカタ、オロツコ、オロホ、オロクコ、オロケス、オロックス、オロチョン、オロンゴドフン、オルニール、ドジン、タズン、トズン、ウルタ、ウイルタ、ウルチャル、ウルカ、オルカ、オルチ、オルチャなど20以上におよぶ。「オロッコ」は元来、アイヌによる他称である[2][3][4][8]。自称はウィルタ、ウリタ、ウリチャ[5]、ウィッタ、ウルチャ、ウルチェンなどである[8]

自称の「ウィルタ」「ウリタ」の語源は ula (ウィルタ語で「飼いならしたトナカイ」の意)であり、ウリタとは「トナカイ保有者」「飼トナカイと共に生活する人」をあらわす[9][10]。なお、ウィルタ族には大陸の住人と共通するナニ(Nani、「土着の人」の意)という自称もある[9]

アイヌによる他称「オロッコ」、ロシア人による他称「オロク」「オロチェン」などの起源は、満洲・ツングース語の「オロ oro(家畜としてのトナカイ)」に求められると考えられ、やはり「トナカイの民」「トナカイ飼養者」の意であろうと推測される[3]
歴史

人類学者考古学者鳥居龍蔵は、かつて『日本書紀』にみられる「粛慎」をウィルタ族に比定したことがあったが、これには異論もある[4]元代以降の中国の文献資料に「?因」「亦里于」「使鹿部」などとみえる種族については、ウィルタである可能性が指摘されている[8]
ウィルタの樺太移住

ウィルタの口頭伝承では、ウィルタの人びとはウリチ(山丹人)と歴史を共有し、ロシア極東のアムグン川の地域からトナカイをともなって樺太(サハリン)へと移住したことが示されている。調査によると、この移住は遅くとも17世紀に起こったと考えられている[9][注釈 4]
山丹交易詳細は「山丹交易」を参照

江戸時代中期には、北海道 - 樺太 - アムール川流域を舞台に交易があった(山丹交易[11]。ウリチやアイヌニヴフとともにウィルタもこの交易に加わった[11]。山丹交易の中心は、南樺太のアイヌとアムール川下流域に住んでいたウリチ(山丹人)であり、アイヌは、樺太で捕獲されたテンカワウソキツネの毛皮、日本製の鉄鍋や小刀を持ち込み、一方、ウリチ側からは清国製の絹織物の官服(「蝦夷錦」)、青玉、鷲羽などがもたらされた[11]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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