ウィルコ・ジョンソン
Wilko Johnson
基本情報
生誕1947年7月12日
出身地 イングランド エセックス キャンベイ・アイランド
死没 (2022-11-21) 2022年11月21日(75歳没)
学歴ニューカッスル大学卒業
ジャンルパブロック
ブルース
職業ギタリスト
ソングライター
担当楽器ギター、ボーカル
活動期間1971年 -
レーベルジャングル・レコーズ
共同作業者ドクター・フィールグッド
ノーマン・ワット・ロイ
ディラン・ハウ
サルバトーレ・ラムンド
スティーブ・モンティ ほか
公式サイト ⇒WilkoJohnson.com
メンバーウィルコ・ジョンソン (ギター、ボーカル)
ノーマン・ワット・ロイ (ベース)
ディラン・ハウ(ドラムス)
旧メンバーサルバトーレ・ラムンド (ドラムス)
スティーブ・モンティ (ドラムス)
ミック・グリーン
ジョニー・キッド&ザ・パイレーツほか
ウィルコ・ジョンソン(Wilko Johnson、1947年7月12日 - 2022年11月21日)は、イングランドのギタリスト、ソングライター、ボーカリスト。ドクター・フィールグッドのオリジナル・メンバーとして活動後、ウィルコ・ジョンソン・バンドを結成し活動。エセックス州、キャンベイ・アイランド出身。 ガス工事業者の父と元看護師の母親の典型的な労働者階級の家庭に3人兄弟の長男として生まれた。幼年期?少年期は両親(特に父親)から受ける愛情が少なく、あまり幸福なものではなかったらしい。学生時代にはローマーズおよびフラワーポットというバンドを結成し地元の市民ホールや労働者向けのパブなどで演奏していたが、成績優秀であった彼はニューカッスル大学で英文学を学ぶためにキャンベイを後にし、しばらくギターから遠ざかる。
来歴
生い立ち
粗野で卑猥かつクレイジーな彼らのステージパフォーマンスはパンク・ロック前夜の若者を魅了し、『ダウン・バイ・ザ・ジェティ(Down by the Jetty
)』『不正療法(Malplactice)』の2作を発表後、3作目にあたる『殺人病棟(Stupidity)』は英アルバムチャートでナンバーワンを獲得する大成功を収めたが、すでにバンド内には不協和音が流れていた。バンドのソングライターであり、アルコール類を全く口にしなかったウィルコは、ツアー中もホテルの部屋で1人新曲を書かねばならないプレッシャーに苦しむ一方、他のメンバー3人は大酒飲みであり、ウィルコの隣の部屋で大騒ぎをするなど、3対1の構図が出来上がりつつあった。事の真偽は後に譲るが、結果的には4作目の『スニーキン・サスピション(en:Sneakin' Suspicion)』完成と同時にウィルコが脱退する形となり、第一期のドクター・フィールグッドは終わりを告げる。この節は言葉を濁した曖昧な記述になっています。Wikipedia:言葉を濁さないおよびWikipedia:避けたい言葉を参考に修正してください。(2023年2月)
ドクター・フィールグッドを脱退したウィルコはチリ・ウィリ・アンド・ザ・レッド・ホット・ペパーズ
にも参加していた“ある人物”を迎えて自分のバンドを立ち上げようとしたが、パブロック界の“ある人物”の策略によってこのバンドは立ち消えとなってしまう。その後、ヴァージン・レコードと契約し、1979年にソリッドセンダース(Solid Senders)名義でアルバム『電光石火(Solidsenders)』を発表するが成功には至らず、イアン・デューリーの好意で彼のザ・ブロックヘッズに一時的に加入。アルバム『ラーフター(Laughter)』に参加するが、ここでウィルコは生涯の盟友となる天才ベーシスト、ノーマン・ワット・ロイに出会う。