ウィリー・メイズ
Willie Mays
ウィリー・ハワード・メイズ・ジュニア(Willie Howard Mays Jr., 1931年5月6日 - )は、アメリカ合衆国アラバマ州ウェストフィールド出身の元プロ野球選手(中堅手)。右投右打。ニックネームは「セイ・ヘイ・キッド(The Say Hey Kid)」。
通算3283安打、660本塁打、338盗塁。首位打者1回、本塁打王4回、盗塁王4回、MVP2回。長打力を含め、走攻守すべてを兼ね備えた伝説的な名外野手と称される[1]。
MLB史上最高の「コンプリート・プレーヤー」と称され、史上最高の中堅手と評価されることが多い[2][3]。
経歴
ジャイアンツ時代(英語版)に所属した後、1950年にニューヨーク・ジャイアンツ(現サンフランシスコ・ジャイアンツ)と契約。
1951年にAAA級のミネアポリス・ミラーズ(英語版)で35試合に出場して打率.477を記録し、同年の5月25日にメジャーデビューを果たした。当初は12打数連続無安打だったが、13打数目でウォーレン・スパーンからメジャー初安打・初本塁打を記録[4]。このシーズンは121試合に出場し、打率.274、20本塁打、68打点を記録し、新人王に選出された。
1952年に34試合に出場した後、朝鮮戦争に従軍し、一時的に野球を離れる。
1954年に復帰。打率.345で首位打者のタイトルを獲得し、41本塁打、110打点の活躍で、テッド・クルズースキーらを抑えてMVPに選出された[5]。ジャイアンツはナリーグのペナントを制し、ワールドシリーズではクリーブランド・インディアンスを4連勝で下して優勝。このシリーズの第1戦で、メイズは「ザ・キャッチ」として語り継がれる伝説的ファインプレーを披露している[6]。
1955年には51本塁打で本塁打王のタイトルを獲得。また、24歳137日で達成したシーズン50本塁打は2007年にプリンス・フィルダー(23歳139日)に更新されるまでメジャー最年少記録だった[7]。
1956年は36本塁打、40盗塁を記録。
1957年は35本塁打、36盗塁で2年連続して30本塁打・30盗塁を達成。
1957年シーズン終了後ジャイアンツは本拠地をニューヨークからサンフランシスコへ移転。新しいホームグラウンドのキャンドルスティック・パークは左翼から本塁へ海からの強風が吹きこみ、メイズの引っ張った打球も強風で押し戻されることが多かったが[6]20-20-20を達成。
1962年にはシーズン49本塁打で2回目の本塁打王のタイトルを獲得。