ウィリー・アイバー
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.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はアイバー、第二姓(母方の)はマルケスです。

ウィリー・アイバー
Willy Aybarタンパベイ・レイズ時代
(2009年5月12日)
基本情報
国籍 ドミニカ共和国
出身地ペラビア州バニ
生年月日 (1983-03-09) 1983年3月9日(41歳)
身長
体重5' 11" =約180.3 cm
200 lb =約90.7 kg
選手情報
投球・打席右投両打
ポジション内野手
プロ入り2000年
初出場2005年8月31日 シカゴ・カブス
最終出場2010年10月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


ロサンゼルス・ドジャース (2005 - 2006)

アトランタ・ブレーブス (2006)

タンパベイ・レイズ (2008 - 2010)

ユマ・デザート・ラッツ (2011)

シウダーデルカルメン・ドルフィンズ (2012)

ユカタン・ライオンズ (2015)

ラグナ・カウボーイズ(2015)

国際大会
代表チーム ドミニカ共和国代表
WBC2009年
この表についてこの表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

ウィリー・デル・ヘスース・アイバー・マルケス(Willy Del Jesus Aybar Marquez、1983年3月9日 - )は、ドミニカ共和国ペラビア州バニ出身の元プロ野球選手内野手)。右投げ両打ち。

弟も同じくプロ野球選手のエリック・アイバー
経歴
ドジャース時代

2000年ロサンゼルス・ドジャースと契約を結び、プロ入りを果たした。

2005年8月31日のシカゴ・カブス戦でメジャーデビューを果たした。短い期間ながら打率.326、打点10、3盗塁と結果を残した。シーズン終了時点で正三塁手の候補者の1人であったが、ドジャースは正三塁手としてビル・ミラーと契約した。また控えとしてラモン・マルティネスと契約したため、アイバーの出場機会は失われた。さらにアイバー自身もオープン戦で打率.216と結果を残すことができなかった。

2006年5月12日、ミラーが膝の内視鏡手術で故障者リストに入ったことにより三塁手として先発出場を果たした。
ブレーブス時代

2006年7月28日にダニス・バエスと共にウィルソン・ベテミットとのトレードでアトランタ・ブレーブスへ移籍。

2007年4月15日、アイバーは故障した手の治療を無断で欠席したことによりアトランタ・ブレーブスから3試合の出場停止処分を受けた[1]。さらに出場停止処分明けとなった4月18日にも無断欠場を行ったため、チームは無期限の出場停止処分を下した[2]。結局8月4日に処分が解かれ3Aでプレーすることになった。しかし8月14日、シーズン絶望となる右手の負傷をおってしまい、2007年はアイバーにとって失意の年となってしまった。
レイズ時代

2008年1月17日にジェフ・リッジウェイとのトレードで、チェイス・フォンテインと共にタンパベイ・レイズへ移籍した。

2009年開幕前の3月に第2回WBCのドミニカ共和国代表に選出された[3]。第2ラウンド進出をかけたオランダ戦では同点で迎えた延長11回裏にサヨナラ失策を犯し、チームの予選敗退を招いてしまった。


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