ウィリアム・ランキン
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William Rankineウィリアム・ランキン

生誕William John Macquorn Rankine
(1820-07-05) 1820年7月5日
グレートブリテン及びアイルランド連合王国 スコットランド エディンバラ
死没1872年12月24日
グレートブリテン及びアイルランド連合王国 スコットランド グラスゴー
市民権 イギリス
国籍 スコットランド
研究分野物理学工学土木工学
研究機関グラスゴー大学
出身校エディンバラ大学
主な業績

ランキン度

熱力学の法則

ランキン・ユゴニオの式

影響を
与えた人物ピエール・デュエム
主な受賞歴ケイス・メダル(英語版)(1854年)
プロジェクト:人物伝
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ウィリアム・ジョン・マッコーン・ランキン(William John Macquorn Rankine FRSE FRS1820年7月5日 - 1872年12月24日)は、19世紀イギリススコットランド)の機械技師であり、土木工学物理学数学の分野でも貢献した。ルドルフ・クラウジウスウィリアム・トムソン(ケルヴィン卿)とともに熱力学の創始者であり、特に熱力学の三法則のうち第一法則を中心に研究した。ランキンは、絶対温度目盛を摂氏ではなく華氏で表したランキン温度目盛を開発した。

ランキンは、蒸気機関を含む全ての熱機関の完全な理論を構築した。1850年代、1860年代に出版された基礎工学や実践工学の教科書は、その後何十年にもわたって使用された。ランキンは、1840年以降、科学や工学をテーマにした数百もの論文やノートを発表した。彼の関心は、若い頃は植物学音楽理論数論、熟年期には科学、数学、工学のほとんどの主要分野に及ぶなど、非常に多岐にわたる。

また、アマチュアの歌手、ピアニスト、チェリストとしても熱心に活動し、ユーモアのある曲を自作していた。
生涯

ランキンはスコットランドエディンバラで生まれた。父は軍人出身の土木技師デビッド・ランキン(David Rankin)[1][2]、母は法曹界・銀行界の名家出身のバーバラ・グラハム(Barbara Grahame)である。

父は様々なプロジェクトでスコットランド中を転々とし、家族もそれに合わせて移動した。ウィリアムは当初、学校に行かずに家で教育を受けていたが、1828年からエア・アカデミー(英語版)、1830年からグラスゴー高校(英語版)に通うようになった。1830年頃、父がエディンバラ・ダルキース鉄道(英語版)の支配人に就任したため、一家はエディンバラに移った[3]

1834年、数学者のジョージ・リーとともに、エディンバラのスコットランド海軍・陸軍士官学校(英語版)に派遣された。この年、既に数学に精通していたウィリアムは、叔父からアイザック・ニュートンの『プリンキピア』のラテン語による初版本(1687年)を贈られている。

1836年、ランキンはエディンバラ大学に入学し、ロバート・ジェイムソンのもとで博物学を、ジェイムズ・デイビッド・フォーブス(英語版)のもとで自然哲学を学ぶなど、様々な科学的テーマを学んだ。フォーブスのもとで、物理学的探求の方法との波の理論に関する論文で賞を受賞した。1830年から、休暇中はエディンバラ・ダルキース鉄道の父の仕事を手伝った。1838年、エディンバラ大学を学位を取得せずに卒業し(当時は珍しいことではなかった)、当時アイルランド鉄道委員会の測量官だったジョン・ベンジャミン・マクニール(英語版)に弟子入りした。マクニールのもとで、後に「ランキン方式(英語版)」と呼ばれる曲線の鉄道の敷設技術を開発した。これは、セオドライトを駆使して、従来の方法に比べて精度と生産性を大幅に向上させるものだった。実際には、この技術は他の技術者も同時期に使用しており、1860年代にランキンの優先順位をめぐって論争があった。

1842年、ランキンはの現象を数学的に解明しようと試みたが、実験データがなく挫折した。同年末、ヴィクトリア女王がスコットランドを訪問した際、ランキンはアーサーの玉座に大きな篝火を設置し、燃料の下に放射状の空気通路を設ける工夫をした。この篝火を合図に、スコットランド各地で篝火が焚かれた。

1850年、恩師のジェームズ・デイビッド・フォーブス教授の推薦により、エディンバラ王立協会(英語版)フェローに選出された。1853年、同協会のケイス・メダル(英語版)を受賞した。1871年から1872年まで副会長を務めた[2]

1855年、グラスゴー大学の土木工学と機械学の欽定教授に就任した[2]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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