イギリスの政治家第2代メルバーン子爵
ウィリアム・ラムWilliam Lamb
2nd Viscount of Melbourne
メルバーン子爵(1844年)
生年月日1779年3月15日
出生地 グレートブリテン王国 ロンドン
没年月日 (1848-11-24) 1848年11月24日(69歳没)
死没地 イギリス ハートフォードシャー
出身校ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ
前職弁護士
所属政党ホイッグ党→トーリー党→カニング派
第2代メルバーン子爵ウィリアム・ラム(英語: William Lamb, 2nd Viscount of Melbourne, PC, FRS、1779年3月15日 - 1848年11月24日)は、イギリスの政治家、貴族、弁護士。
グレイ伯爵退任後のホイッグ党を指導し、ホイッグ党政権の首相を2度にわたって務めた(第1次:1834年、第2次:1835年-1841年)。ウィリアム4世の治世からヴィクトリア朝初期にかけて保守党(トーリー党)党首ロバート・ピールと政権を奪い合った。ヴィクトリア女王即位時の首相であり、女王の寵愛を受けた。1842年に政界の第一線を退き、代わってジョン・ラッセル卿がホイッグ党を指導していく。 1779年にメルバーン子爵家の次男として誕生。ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジへ進学。さらにリンカーン法曹院で学び、弁護士となる。1805年に兄が死にメルバーン子爵家の跡取りとなる。また同年にキャロライン・ポンソンビーと結婚した(→生い立ち)。 1806年に庶民院議員に初当選。初めホイッグ党に所属していたが、1816年からトーリー党へ移籍した。妻キャロラインの不倫事件で著名となる(→若手議員)。
概要
その後、ウィリアム・ハスキソン指導下のカニング派に属して野党となった。