ウィリアム・マクレイヴン
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ウィリアム・H・マクレイヴン
William H. McRaven

渾名ビル(Bill)
生誕 (1955-11-06) 1955年11月6日(68歳)
アメリカ合衆国
ノースカロライナ州パインハースト
所属組織 アメリカ海軍
軍歴1974年 - 2014年
最終階級 海軍大将
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ウィリアム・ハリー “ビル” マクレイヴン(「マクレイブン」「マクレーヴン[1]」「マクレーベン[2]」とも、英語: William Harry "Bill" McRaven、1955年11月6日 - )は、アメリカ合衆国海軍軍人。最終階級は海軍大将

1977年に少尉任官して以来一貫して特殊作戦畑を歩み、在欧特殊作戦軍(SOCEUR)司令官(2006年6月 - 2008年3月)や統合特殊作戦コマンド(JSOC)司令官(2008年3月 - 2011年8月)などを歴任した。特にJSOC司令官在任中には、2011年5月2日アメリカ東部夏時間では5月1日)に行われた「ネプチューンの槍作戦」を指揮し、アメリカを中心とする諸国が2001年9月11日アメリカ同時多発テロ事件以降展開してきた対テロ戦争の中でも最大級の戦果となるアルカーイダの指導者ウサーマ・ビン・ラーディン殺害に成功したことで知られる。

その後は、エリック・オルソン海軍大将の後任としてJSOCの上級部隊である特殊作戦軍(SOCOM)の司令官に大将への昇任と併せて補職された。
生い立ち

1955年11月6日、テキサス州サンアントニオで3人姉弟の末っ子[3]として生まれる[4]。父親のクロード ・“マック”・マクレイヴン(Claude "Mac" McRaven)は、大学時代はカレッジ・フットボールのスター選手で、1939年に1年間のみではあるが、NFLのクリーブランド・ラムズ(現在のロサンゼルス・ラムズ)でプレイした経験を持つフットボーラーであるとともに[3][5]第二次世界大戦に従軍し、空軍大佐まで昇った軍人でもある[3][6][7]。マック・マクレイヴン大佐は戦闘機パイロットであり、第二次大戦中はスーパーマリン スピットファイアに搭乗し[7]イギリス海峡を横断して爆撃任務に向かう爆撃機を護衛(エスコート)する任務などに従事していた[4]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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