ウィリアム・ドノバン
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ウィリアム・ジョセフ・ドノバン
William Joseph Donovan

渾名ワイルド・ビル(Wild Bill)
生誕 (1883-01-01) 1883年1月1日
アメリカ合衆国 ニューヨーク州バッファロー
死没1959年2月8日(1959-02-08)(76歳)
アメリカ合衆国 ワシントンD.C.ウォルター・リード陸軍医療センター
所属組織ニューヨーク防衛隊(英語版)(New York State Guard)
アメリカ陸軍
軍歴1912年-1916年, 1919年-1922年(防衛隊)
1916年-1919年, 1941年-1945年(陸軍)
最終階級少将(Major General)
墓所アーリントン国立墓地
署名
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ウィリアム・ジョセフ・"ワイルド・ビル"・ドノバン(William Joseph "Wild Bill" Donovan 1883年1月1日 - 1959年2月8日)は、アメリカ軍人弁護士諜報員外交官戦略諜報局(OSS)の創設者、また長官としてその名を知られる。「アメリカ情報機関の父」(Father of American Intelligence)、「CIAの父」(Father of Central Intelligence)などと通称される事も多い[1][2]

第一次世界大戦従軍者としては唯一、4つの最高級軍事勲章を受章している。すなわち、名誉勲章殊勲十字章、陸軍殊勲章(英語版)、国家安全保障褒章(英語版)である[3]。またこれらに加えて銀星章名誉戦傷章も受章している。
経歴
若年期

ビル・ドノバンはニューヨーク州バッファローにて第一世代のアイルランド系移民の息子として生を受けた。母アンナ・レティティア・"ティッシュ"・レノン(Anna Letitia "Tish" Lennon)はアルスター出身で、父ティモシー・P・ドノバン(Timothy P. Donovan)はコーク県出身だった。祖父ティモシー・オドノバン・シニア(Timothy O'Donovan (Sr.))は教区司祭だった叔父の元、スキバリーンに暮らした。またそこでウィリアムの祖母に当たるメアリー・マホニー(Mary Mahoney)と出会っている。メアリーは地主の娘だった為、結婚にティモシー側の承認は不要だったという。その後、彼らはカナダを経てニューヨークに移る。息子ティモシー・ジュニアは政治家を志して活動したものの、その成果は微々たるものであった。

ビル・ドノバンはセント・ジョセフ・カレッジエイト・インスティチュート(英語版)を経てナイアガラ大学(英語版)に入学し、後にはコロンビア大学のフットボールチームで活躍したという。この頃に付けられた愛称「ワイルド・ビル」(Wild Bill)は、その後も彼の愛称として知られていく事になる[1][4]。1905年にコロンビア大学を卒業し、同時期にファイ・カッパ・サイ[1][5]マルタ騎士団の構成員となる[6]

コロンビア大学の法科大学院であるコロンビア・ロー・スクールを卒業したドノバンは、まもなくウォール街に影響力を持つ弁護士の1人となる。

1912年、ドノバンはニューヨーク州民兵(英語版)(New York State Militia)にて騎兵隊を組織し、自らその指揮官となる[7]。この部隊は連邦軍がパンチョ・ビリャ遠征(英語版)に出動していた影響で、1916年に動員令を受けてアメリカ=メキシコ国境の警備に回されている[7]


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