ウィリアム・スタイグ
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ウィリアム・スタイグ
誕生
1907年11月14日
アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン区
死没 (2003-10-03) 2003年10月3日(95歳没)
アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン
職業漫画家イラストレーター彫刻家児童文学作家
国籍 アメリカ合衆国
活動期間1930年 - 2003年
代表作『ロバのシルベスターとまほうのこいし』(1969年)
主な受賞歴コールデコット賞
ウィキポータル 文学
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ウィリアム・スタイグ(William Steig、1907年11月14日 - 2003年10月3日)はアメリカ合衆国漫画家イラストレーター彫刻家。後半生は児童文学作家として活躍し、『ロバのシルベスターとまほうのこいし』、『アベルの島』、『歯いしゃのチュー先生』、CGアニメーション映画『シュレック』の原作となった『みにくいシュレック』などの作品を残した。
生涯
生い立ち

ニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン区に4人兄弟の三男として生まれ[1][2]、幼少時はブロンクス区で過ごす。両親はオーストリアから移住したポーランド系ユダヤ人社会主義者だった[3]。父ジョセフは家屋塗装工、母ローラは裁縫師で、息子たちに芸術を奨励した[3]。そのためスタイグは早くから絵を描くことと文学作品に興味を持ち、特に『ピノッキオの冒険』に影響を受けた。長兄アーウィンはジャーナリスト兼画家、次兄ヘンリーは作家兼サクソフォーン奏者兼画家、弟アーサーは作家兼詩人となった。スタイグによればアーサーは幼時から『ネイション』誌を読み、テレパシー的で「ピカソマティスと同じくらい絵がうまかった」という[4]

高校時代も学内新聞に漫画(カートゥーン)を描いた[5]。15歳で高校を卒業後[4]ニューヨーク市立大学シティカレッジに2年間、ナショナル・アカデミー・オブ・デザインに3年間、イェール大学の美術学部にもわずか5日間学んだ[3]。大学時代は全米水球チームの選手となるなど運動能力も発揮したが、いずれの大学も卒業していない。
経歴

スタイグ自身はプロスポーツ選手か船乗りを志望していた[3][5]。しかし父が世界恐慌で失業し、当時兄二人は結婚して自立しており弟もまだ幼かったため、スタイグが一家の稼ぎ手とならざるを得なくなった[3]。フリーのアーティストとして漫画を描き始め、1930年から『ザ・ニューヨーカー』誌、『ヴァニティ・フェア』誌、『コリアーズ』誌などに漫画を掲載[2]。117もの表紙イラストを含む1600以上の漫画を発表し[6]、『ニューズウィーク』誌に「漫画王」(King of Cartoons)と賞された[7]。1940年代は木彫も手がけ、1949年夏にフィラデルフィア美術館で開催された彫刻展「3rd Sculpture International」に出展した。

スタイグは精神科医ヴィルヘルム・ライヒにかかっており、その関係でライヒの著書『Listen, Little Man!』の挿絵を描いている[3]

1968年からは児童文学に転向し、同年『CDB!』でデビュー。30作を超える児童書を出版し、『ロバのシルベスターとまほうのこいし』(Sylvester and the Magic Pebble, 1969年)はコールデコット賞、『アベルの島』(Abel's Island, 1976年)はニューベリー名誉賞およびフェニックス賞オナー、『歯いしゃのチュー先生』(Doctor De Soto, 1982年)は全米図書賞を受賞した。1990年に発表した『みにくいシュレック』(Shrek!)は、ドリームワークス・アニメーション制作のCGアニメーション映画『シュレック』の原作となった。
死去

2003年10月3日、老衰のためボストンの自宅にて95歳で死去[2][8]。遺族には妻ジーン、3人の子、2人の孫がいた[3]。自身の子供時代についての自叙伝的な作品である[3]『みんなぼうしをかぶってた』(When Everybody Wore a Hat, 2003年)が生前最後の作品となった。

シュレック2』のクレジットタイトルには“In memory of William Steig, 1907?2003”(ウィリアム・スタイグ先生(1907年 - 2003年)を偲んで)という一文が添えられた。
妻子

スタイグは生涯で4度結婚し、3人の子をもうけた。

1936年に文化人類学者マーガレット・ミードの妹で[3]教育家兼芸術家のエリザベス・ミード・スタイグ(1909年 - 1983年)と結婚し、ジャズのフルート奏者となった息子ジェレミー・スタイグと娘ルシンダをもうけた。1949年に離婚後、1950年にカリ・ホームステッドと結婚し娘マーギット・ローラをもうけた。離婚後、1964年にステファニー・ヒーリーと結婚するが1966年に離婚。最後の妻であるジーン・ドロンとは夫婦で児童書を合作した。
主な作品
漫画

1932年 - Man About Town

1939年 - About People: A Book of Symbolical Drawings

1942年 - The Lonely Ones

1944年 - All Embarrassed

1944年 - Small Fry

1945年 - Persistent Faces

1953年 - Dreams of Glory, and Other Drawings

1979年 - William Steig: Drawings

1984年 - Ruminations

挿絵

1941年 - How to Become Extinct ウィル・カッピー



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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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