ウィリアム・コスグレイヴ
[Wikipedia|▼Menu]

ウィリアム・トーマス・コスグレイヴ
William Thomas Cosgrave(英語)
Liam Tomas Mac Cosgair(アイルランド語)


アイルランド自由国
初代行政評議会議長
任期1922年12月6日1932年3月9日
元首ジョージ5世
イギリス国王

出生1888年6月6日
アイルランド、ダブリン
死去1965年11月16日(1965-11-16)(85歳)
アイルランド、ダブリン
政党シン・フェイン党(1905年 ? 1922年)
クマン・ナ・ゲール(1922年 ? 1933年)
フィナ・ゲール(1933年 ? 1944年)
配偶者ルイザ・フラナガン
子女リーアム・コスグレイヴ
マイケル・コスグレイヴ

ウィリアム・トーマス・コスグレイヴ(コズグレイヴとも)(William Thomas "W. T." Cosgrave, アイルランド語: Liam Tomas Mac Cosgair; 1880年6月6日 ? 1965年11月16日)は、アイルランド政治家アイルランド自由国の初代行政評議会議長(首相)
目次

1 独立運動家として

1.1 生い立ち

1.2 政治の世界へ


2 英愛条約

3 行政評議会議長として

3.1 国内政策

3.2 外交政策

3.3 経済政策


4 野党の指導者として

5 死

6 参考文献

独立運動家として
生い立ち

ウィリアム・コスグレイヴは1880年に、ダブリンのカトリック教徒の家にて次男として生まれた。コスグレイヴは1980年からカトリック系のクリスチャン・ブラザーズ(英語版)にて教育を受けた。卒業後は父トーマス・コスグレイヴのパブ「ティペラリー」の経営に関わった。
政治の世界へ

コスグレイヴは1905年に、アーサー・グリフィス率いるシン・フェイン党に参加した。また1909年から1922年まで、アイルランド義勇軍(英語版)に所属した。1916年のイースター蜂起にはコスグレイヴも参加した。蜂起鎮圧後、イギリス軍の軍事法廷にて死刑を宣告されるが、のちに終身刑に減刑された。コスグレイヴはウェールズの刑務所に収監された。収監中の1917年、キルケニー市議会の議員に獄中当選し、1919年には恩赦により釈放された。コスグレイヴは同年6月24日にダブリンにてルイザ・フラナガンと結婚した。
英愛条約

コスグレイヴはグリフィス、マイケル・コリンズを含む代表団の団長として、英愛条約を交渉した。議会(ウラクタス)で条約承認の賛否が問われ、64対57で可決された後、1922年1月にエイモン・デ・ヴァレラは暫定政府の代表を辞任し、グリフィスと交代した。コリンズは条約に従って臨時政府を組織し、臨時政府のメンバーにはコスグレイヴも加わった。

コスグレイヴはコリンズより政権を譲り受けてから、正式に政府を樹立するまで、首相の地位にいた。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:14 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef