ウィリアム・キャヴェンディッシュ=ベンティンク_(第3代ポートランド公)
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第3代ポートランド公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュ=ベンティンクWilliam Cavendish-Bentinck, 3rd Duke of Portland

生年月日1738年4月14日
出生地 グレートブリテン王国ノッティンガムシャー
没年月日 (1809-10-30) 1809年10月30日(71歳没)
死没地 イギリスバッキンガムシャー、ブルストロード・パーク(英語版)
出身校オックスフォード大学クライスト・チャーチ
所属政党ホイッグ党のちトーリー党
称号ガーター勲章勲爵士(KG)[1]
枢密顧問官(PC)[2]
王立協会フェロー(FRS)[3]
サイン
イギリスの首相
在任期間1783年4月2日 - 1783年12月19日
内務大臣
在任期間1794年7月11日[4] - 1801年7月30日
枢密院議長
在任期間1801年7月30日[5] - 1805年1月14日
無任所大臣
在任期間1805年 - 1806年
イギリスの首相
在任期間1807年3月31日 - 1809年10月4日
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第3代ポートランド公爵ウィリアム・ヘンリー・キャヴェンディッシュ・キャヴェンディッシュ=ベンティンク(: William Henry Cavendish Cavendish-Bentinck, 3rd Duke of Portland KG PC FRS1738年4月14日 - 1809年10月30日)は、イギリス貴族政治家イギリスの首相(在任:1783年4月2日 - 12月19日、1807年3月31日 - 1809年10月4日)、内務大臣(在任:1794年 - 1801年)、枢密院議長(在任:1801年 - 1805年)を歴任した。ポートランド公爵を相続する1762年までティッチフィールド侯爵の儀礼称号で称された[6]

ポートランド公爵は常に自身をホイッグ党員であると考えたが、19世紀初のトーリー党政権の礎を築いたとされる[7]
経歴
生い立ち

第2代ポートランド公爵ウィリアム・ベンティンクと、マーガレット・ハーレー(英語版)(1715年3月11日 ? 1785年7月17日、第2代オックスフォード=モーティマー伯爵エドワード・ハーレーの娘)の長男として、1738年4月14日に生まれた[6]。母と母方の祖母ヘンリエッタ・キャヴェンディッシュ=ホリス(英語版)(初代ニューカッスル公爵ジョン・ホリスの一人娘)の2人から、多くの領地を継承した[8][9]。ヘンリエッタの遺言状に基づき、オックスフォード大学在学中の1755年には「キャヴェンディッシュ」を姓に加えたが[6][10]、この変更が国王により正式に承認されたのは1801年10月5日のことだった[6]

1747年から1754年までウェストミンスター・スクールで教育を受けた後[11]、1755年3月4日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学、1757年2月1日にM.A.の学位を修得した[12]。1757年12月にグランドツアーに出て、外交官ロバート・マレー・キース(英語版)とともに出発した[11]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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