ウィリアム・オートレッド
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ウィリアム・オートレッド
William Oughtred (1574-1660)
生誕 (1575-03-05) 1575年3月5日
イングランド バッキンガムシャー イートン
死没1660年6月30日(1660-06-30)(86歳)
イングランド サリー オルベリー
居住 イングランド
国籍 イングランド
研究分野数学者
出身校イートン・カレッジ
キングス・カレッジ (ケンブリッジ大学)
博士課程
指導学生ジョン・ウォリス
クリストファー・レン
リチャード・ドラマン
主な業績計算尺
乗法記号としての "×"
プロジェクト:人物伝

ウィリアム・オートレッド(William Oughtred、1574年3月5日 - 1660年6月30日)は、イギリス数学者

ジョン・ネイピア対数を発明し、エドマンド・ガンターが対数尺を発明した後、オートレッドが2つの対数尺を組み合わせることで乗法除法を直接計算できる計算尺を1622年に発明した。また、乗法の記号である "×" や、三角関数を sin や cos と表記する方法もオートレッドの考案である[1]
目次

1 生涯

2 オカルトへの関心

3 業績

3.1 著書

3.2 計算尺

3.3 日時計


4 脚注・出典

5 参考文献

6 外部リンク

生涯

バッキンガムシャーイートンで生まれる(現在はバークシャーの一部)。ケンブリッジ大学のキングス・カレッジで学び、フェローとなった[2]。叙階されシャルフォードに聖職禄を得たため、1603年ごろケンブリッジ大学を離れることになった。サリーのギルフォードにほど近いオルベリーの牧師館に1610年に紹介され、そこに落ち着いた。1628年ごろアルンデル伯爵に命ぜられ、彼の息子に数学を教えることになった。

オートレッドは当時の高名な学者、例えばウィリアム・アラバスター(詩人、劇作家)、チャールズ・キャベンディッシュ卿、ウィリアム・ガスコイン(科学者)などと文通していた[3][4]。また、ヘンリー・ブリッグスやガンターとも親交があり、彼らのいたグレシャム・カレッジとも定期的なコンタクトをとっていた。

大学に属さずに数学の教師としてリチャード・ドラマンや Jonas Moore など何人もの高名な数学者を育てている。Seth Ward はオートレッドの家に6カ月間住み、最新の数学を学んだ。物理学者 Charles Scarburgh もオルベリーに滞在した。ジョン・ウォリスクリストファー・レンはオートレッドと文通していた[5]。他にも、オルベリーで学んだ生徒として Robert Wood がいる。彼はオートレッドの著作の出版を手助けした[6]

計算尺の発明については、オートレッドとドラマンの間でどちらが先かという論争が起きた。オートレッドは理論は実践に先行するべきだと主張しており、数学の教育方法という点でも両者の意見は食い違っていた[7][8]

1660年に亡くなるまで聖職者を続けた。その1か月後にチャールズ2世が復位している[9]
オカルトへの関心

オートレッドは錬金術占星術に関心を寄せていた[10]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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