ウィリアム・エンプソン
人物情報
生誕 (1906-09-27) 1906年9月27日
イギリス ヨークシャー州
死没1984年4月15日(1984-04-15)(77歳)
イギリス ロンドン
出身校ケンブリッジ大学
学問
研究分野英語学・英文学
研究機関東京文理科大学、北京大学、シェフィールド大学
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ウィリアム・エンプソン(William Empson 1906年9月27日 - 1984年4月15日)は、英国の文学批評家、詩人。 1906年、ヨークシャー州に生まれた。プレパラトリー・スクールの頃から数学に関心を持っており、ウィンチェスター・カレッジへ奨学金を得て入学。1925年、ケンブリッジ大学へ入学して数学を専攻した。 のち文学批評に転じ、アイヴァー・リチャーズの影響を受ける。1930年『曖昧の七つの型』を発表。1931-1934年には、東京文理科大学で教え、帰国後、『牧歌の諸変奏』(1935)を発表。1937年北京大学に赴任し[1]、1940年戦争のため帰国。 戦後、1947年から1952年まで、再び北京大学で教鞭をとった。1953年、シェフィールド大学英文学教授に就任。1971年に同大学を退任後、名誉教授となった。 ニュー・クリティシズムの重要な批評家であった。自らも詩作し、詩集を出している。
経歴
研究内容・業績
邦訳された著書
『曖昧の七つの型』星野徹・武子和幸訳、思潮社 1972
『曖昧の七つの型』岩崎宗治訳、研究社 1972、新版1985。岩波文庫(上下)2006。水声社 2022
『牧歌の諸変奏』柴田稔彦訳、研究社出版 1982
関連書籍
『エンプソン入門 Empson:Seven types of ambiguity 第一章の研究と注釈』早稲田大学エンプソン研究会編 北星堂書店 1972
参考文献
『英米文学辞典』研究社
アジアにおけるエンプソン:三ヵ国語の文献索引データベース
脚注^ 1937年7月に盧溝橋事件が起こると、北京の大学は疎開し、西南聯合大学を形成した。
全般
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