ウィリアムズ・メルセデス
Williamsエントリー名ウィリアムズ・レーシング
チーム国籍 イギリス
チーム本拠地 イギリス
( イングランド)
オックスフォード州
グローヴ
ウィリアムズ・グランプリ・エンジニアリング(英: Williams Grand Prix Engineering Limited)は、1977年から活動しているイギリスのレーシングコンストラクター。特にF1レーシング・チームとしての活動が知られる。
創設者は、フランク・ウィリアムズおよびパトリック・ヘッド。2020年にウィリアムズ家が経営権を手放し、現在は米国の投資会社「ドリルトン・キャピタル」がオーナーを務めている。 1970年代に誕生したコンストラクターとしては最も成功を収め、過去にドライバーズタイトル7回、コンストラクターズタイトル9回(2024年時点)を獲得している。フェラーリ、マクラーレンと並び、F1を代表する名門チームである。 チームとしては「頑固なエンジニア集団」と表現されたこともあるように保守的な手法をとることが多い。資金や研究不足により技術的な冒険をする余裕がなかった面もあって1980年代前半の車作りは保守的で、カーボンファイバーモノコックの導入やターボエンジンへの切り替えは同時期の主だったチームの中では後発の部類であった。一方でタイトルスポンサーとしてキヤノンおよびロスマンズと契約していた時代には、多くの技術的革新を行っている。ターボエンジン時代にはまだ実績が無かったホンダに切り替えたり、ターボ廃止後にはF1での採用例がなかったルノーV10への切り替え等は、当時としては異例の決断でもあった。また、シャシー面でもフェラーリの次にセミオートマチックトランスミッションを採用し、ロータスと同時期にアクティブサスペンションを実戦投入し、それが失敗だったにも関わらず開発を続け、1992年には完成の域に達してシーズンを圧倒。ルノーV10の採用は後のトータルパッケージの概念の先便となるなど、1990年代前半の開発競争をリードした。他にも、ドライバーとの契約時に技術知識に関する筆記テストを行うユニークな特徴がある[2]。 チーム内に明確な序列を設けず「チャンピオンは独力で勝ち取れ」という方針のため、コンストラクターズタイトルを獲得してもドライバーズタイトルを逃した年が数回ある。またドライバーに対してドライな態度を取る事も目立ち、チャンピオンを獲得したドライバーが契約を更新せずにチームを離脱することもあった(後述)。 2020年夏まではチーム株式の過半数をオーナーのフランク・ウィリアムズが所有しており、チーム関係者のパトリック・ヘッドや、アメリカの病院経営者であるブラッド・ホリンガー
概要
2020年8月21日にプレスリリースを発表。5月下旬に始まった戦略的な見直しにより、ドリルトン・キャピタルに買収されたことが明らかになった。なお、ドリルトン・キャピタルによれば今後もチーム名とシャシー名は今まで通り“ウイリアムズ”と“FW”を使い続けるといい、「ウイリアムズの遺産を尊重し、維持することの重要性を認識している」としてファクトリーを含むチーム本社の移転も計画していない[4]。9月3日にはフランク・ウィリアムズを筆頭とする取締役が解任され、ドリルトン・キャピタルの会長マイケル・サベージらが新たに取締役に就任したことが発表され[5]、ウィリアムズ家はチーム経営から離脱した。これにより家族経営のプライベーターチームとしてのウィリアムズの歴史に終止符が打たれることになった。
マスコミでの日本語の表記は、昔から小文字を使わない「ウイリアムズ」が多い。
チームの歴史
1966年?1976年 チーム創設と苦闘時代詳細は「フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズ」を参照
1977年?1983年 再出発から頂点へ創設者フランク・ウィリアムズFW06・フォードFW07・フォード
1977年、自ら興したフランク・ウィリアムズ・レーシングカーズを手放したフランク・ウィリアムズは、エンジニアのパトリック・ヘッドとともに新チームを設立。ウィリアムズが70%、ヘッドが30%を出資し「ウィリアムズ・グランプリ・エンジニアリング」として再出発した。この年は一時的なつなぎとしてマーチ・761を購入して参戦した。
マーチのマシンで参戦し、1978年からのフル参戦の体制を整えるべくチームは奔走。ヘッドは部下のフランク・ダーニー、ニール・オートレイ、ロス・ブラウンらを指揮して、強力な技術部門を構築。フランクはサウジアラビア航空の後援を受け、オーストラリア人ドライバーのアラン・ジョーンズと契約し、独立したチームとしてフル参戦できる環境を整えた。そして、1978年、再出発の純粋な第一号となるウィリアムズ・FW06を手にフル参戦を果たす。