ウィリアマイト戦争
名誉革命中
1690年7月11日、ジェームズ2世とウィリアム3世によるボイン川の戦い
時1689年3月12日 - 1691年10月3日
(2年6ヶ月3週間)
場所アイルランド
結果
ウィリアマイトの勝利
リムリック条約
ウィリアマイト戦争(英語: The Williamite War in Ireland、アイルランド語: Cogadh an Da Ri)は、1689年から1691年にかけてアイルランドで起こった戦争である。大陸で起こった大同盟戦争の一環として発生した。
この戦争ではイングランドで誕生した名誉革命体制をめぐってウィリアム3世支持派(=ウィリアマイト)とジェームズ2世支持派(=ジャコバイト)およびフランスとが争った。この戦争にウィリアム3世支持派が勝利した結果、アイルランドにおけるイングランドの覇権は動かしがたいものになった。ボイン川の戦いやロンドンデリー包囲戦の記念日はユニオニストの間では現在でも祝日となっている。 ウィリアマイトとは名誉革命で王位に就いたオランダ総督ウィリアム3世を積極的に支持し、名誉革命によって王位につけるのに協力した人々を指す。もっとも、イングランド・スコットランドではこの語は使われず、特に革命支持派が少なかったアイルランドの名誉革命支持者をいう。アイルランドの数少ないプロテスタント住民は、ほぼウィリアマイトであった。 ウィリアマイト戦争は、名誉革命によって引き起こされた。カトリック信仰のジェームズは、イングランドやスコットランドにとって度しがたい国王であったが、カトリックが多数派を占めるアイルランドにとっては理想的な君主であった。17世紀中頃の三王国戦争以来アイルランドは少数のプロテスタントに土地と政治を握られ、大多数のカトリック信徒は、その信仰のゆえに官職から排除され土地所有も禁じられていた。アイルランド人たちはジェームズに期待したが、彼らの夢を名誉革命が粉砕した。 革命によってジェームズはロンドンから追放されフランスに逃れたが、アイルランドは革命を支持せずジェームズ支持の旗色を鮮明にした。
名誉革命とウィリアマイト
経緯
蜂起とロンドンデリー戦線