神村学園高等部伊賀分校
校地全景(ウィッツ青山学園高等学校時代、2011年)
出典:『国土交通省「国土画像情報(カラー空中写真)」(配布元:国土地理院地図・空中写真閲覧サービス)
ウィッツ青山学園高等学校(ウィッツアオヤマガクエンコウトウガッコウ)は2005年9月より三重県伊賀市に株式会社立高等学校として開校していた(2005年9月?2017年3月)広域通信制と全日制を併せ持つ高等学校。
現在は(詳細は後述)[1][2][3][4]学校法人神村学園(鹿児島県いちき串木野市)[5][6]に2017年3月に運営を譲渡し神村学園高等部伊賀分校として運営している。 市町村合併の直前に旧青山町が国に申請し[7]、「伊賀市」になってから[7]内閣府および文部科学省より「伊賀市意育教育特区」の認定を受け、株式会社立高等学校として「ウィッツ青山学園高等学校」(ウィッツあおやまがくえんこうとうがっこう)が2005年9月に開校した[1][2][8]。 伊賀市が国から認定を受けた特区「意育特区」の最大の特徴は“当時の解釈で”本校職員立会いのもとで伊賀市内の様々な施設「例:伊賀焼体験」伊賀忍者村、伊賀城等で生徒が体験して学習する「体験型スクーリング」を行うというものであった。 理事長に元青山町長の猪上泰、校長に株式会社ウィッツ取締役・特定非営利活動法人教育支援協会理事、畑康裕がそれぞれ就き「意」のある学校。として新しい教育を立ち上げた。 顧問に教育評論家の阿部進が着任するなど文科省をはじめ多方面から「新しい教育の形」として注目された。 2004年に廃校となった、旧青山町立上津小学校の校舎を改装し使用している。 通信制と全日制があり全日制は寮制が選択でき校舎には男女別の学生寮を設置。教師も校長も生徒と「寝食を共にしながら3年間共に学ぶ
ウィッツ青山学園高校の概要
設立時に運営していた「株式会社ウィッツ」は[9][10]大阪市にある大証2部上場の株式会社WIN(ウィン)の子会社として設立された。WIN(ウィン)創設者は下村前文科相の後援会「全国博友会」の当時の会長、森本一氏。
ウィッツ青山学園高等学校の「校歌」はシンガーソングライターの染谷俊が歌う「きみに逢えて、僕は」でCDとして生徒にも配布された。
運営会社が東理ホールディングスに吸収合併される
2005年からの設立法人であるWIN(ウィン)の経営難などから2007年3月に事業持ち株会社「東理ホールディングス (HD)代表取締役社長、福村康廣氏に買収され子会社となった。
この機を境に開校当時と比較すると経営方針が開校当初と比べ徐々に変化していった。[11]。
2015年に一連の不祥事(後述)が発覚し、株式会社ウィッツが運営するウィッツ青山学園高等学校としては2017年3月31日付で閉校。神村学園が校舎や生徒を継承する形で「神村学園高等部伊賀分校」が翌4月1日に開校した。