ウィキメディアン・オブ・ザ・イヤー
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ウィキメディアン・オブ・ザ・イヤー
Wikimedian of the Year
2023年受賞者 タウフィク・ロスマン
開催日2011年8月 (12年前) (2011-08)
会場慣例上ウィキマニアで授与される
主催ジミー・ウェールズ
行動ウィキペディアにおける顕著な活動
初回2011
最新回2023

ウィキメディアン・オブ・ザ・イヤー(英語: Wikimedian of the Year) は2011年にウィキペディアの共同創設者ジミー・ウェールズが創設した、ウィキメディア運動での顕著な活動に対して与えられる賞[1]。毎年ウィキマニアにおいて授与される[1]。2020年、2021年、2022年については、新型コロナウイルスによるパンデミックのため、Web会議で授賞式が行われた。2017年以前はウィキペディアン・オブ・ザ・イヤー(英語: Wikipedian of the Year)という名称であった。

歴代の受賞者には、ラウアン・ケンチェハヌリ(英語版) 、"Demmy"、レミ・マチス(英語版)、イーゴリ・コスチェンコエミリー・テンプル=ウッドロージー・スティーヴンソン=グッドナイトフェリックス・ナーティ、ファルハド・ファツクリン(英語版)、エムナ・ミズーニ(英語版)、そして銘記すべき(in pectore(英語版))多数の無名編集者たちが含まれる。

メインの受賞者のほかに、2015年から選外賞 (Honorable mentions) があり、2021年からはさらに拡大して、新人賞 (Newcomer of the Year) 、ウィキメディア桂冠賞 (Wikimedia Laureate)、最優秀技術貢献者賞、最優秀メディア貢献者賞が授与されている。
受賞者

年受賞者主に活動しているプロジェクト特記事項
2011
ラウアン・ケンチェハヌリ(英語版)カザフ語版ウィキペディアケンチェハヌリはカザフ語版ウィキペディアの改善のために安定したコミュニティを構築した。この活動はアクティブな利用者を4人から200人以上に増やし、記事数を7000から130000まで増やした[1][2]。後にケンチェハヌリはカザフスタン政府とつながりがあることが判明し、ウェールズは批判された[3]
2012?"Demmy"ヨルバ語版ウィキペディアDemmyはボットによって、英語版の15000本の短い記事を、ナイジェリアの言語であるヨルバ語に翻訳した。
2013レミ・マチス(英語版)フランス語版ウィキペディアピエール・シュール・オート軍用無線局問題に対応した[4]
2014イーゴリ・コスチェンコウクライナ語版ウィキペディアウィキペディアの編集者としてソーシャル・ネットワーキング・サイトで参加者を募っていたコスチェンコは、ユーロマイダン抗議行動の一員でもあった。彼は抗議行動のさなか、2014年2月20日に射殺され、没後受賞[5][6][7][8]
2015?非公開ウィキメディア・コモンズウェールズは、反政府抗議の写真を投稿したことで追放された、ベネズエラ出身の匿名のin pectore(英語版)の編集者を挙げた[9]
2016エミリー・テンプル=ウッド英語版ウィキペディア最初の共同受賞者は、ウィキペディアでの女性に対するハラスメントと闘い、特筆すべき女性についての記事を増やす活動をしている2人に贈られた。テンプル=ウッドは400以上の記事を新規立項し、何百もの記事を改善した。その多くは女性科学者LGBT・女性の健康(英語版)に関する記事などであった。スティーヴンソン=グッドナイトは3000以上の記事を改善し、新規参加者を歓迎するスペースを設置し、「ウィキ・ウーマン・ユーザー・グループ」や「ウィキプロジェクト:女性」、ウィメン・イン・レッドキャンペーンなどの女性に関するアウトリーチ活動を共同創設した。
ロージー・スティーヴンソン=グッドナイト英語版ウィキペディア
2017フェリックス・ナーティ英語版ウィキペディアナーティーは彼の祖国であるガーナに関する内容を追加し、ウィキペディアを編集することの重要性を宣伝する上でのいくつかのイニシアチブをとった[10][11]。彼は2017年にガーナのアクラで開催された第2回ウィキインダバ(英語版)を主導し、アフリカにおける地域コミュニティ構築の重要な役割を果たした[12]
2018ファルハド・ファツクリン(英語版)タタール語版ウィキペディアファルハドは彼の母語であるタタール語のみならず、多くのロシアの少数言語コミュニティで世話役になった。彼は英語も堪能であり、長年孤立していたこれらのコミュニティとより広範な運動との橋渡しをした[13][14]
2019エムナ・ミズーニ(英語版)アラビア語版ウィキペディアエムナは2013年にNGOのCarthaginaに加入した[15]。彼女はその年にWiki Loves Monumentsに参加し、ウィキメディア・プロジェクトに投稿し始めた。第1回ウィキアラビア会議の開催やウィキマニア2018のプログラム委員長を務めるなど主要なウィキメディア会議の世話人を務めた。また、2016年にアフィリエーション委員に就任し2018年にはその副議長に選ばれた。
2020サンディスタ・テイ英語版ウィキペディアテイは、ガーナにおける2019年コロナウイルス感染症の流行状況(英語版)に関する記事の作成を積極的に行った[16]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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