イート・ザ・ヒート
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『イート・ザ・ヒート』
アクセプトスタジオ・アルバム
リリース1989年
録音1988年9月 - 1989年1月ケルン Dierks Studios[1]
ジャンルヘヴィメタルパワーメタル
レーベルRCAレコード
エピック・レコード
プロデュースディーター・ダークス
専門評論家によるレビュー


AllMusic link

チャート最高順位

15位(ドイツ[2]

19位(ノルウェー[3]

26位(スウェーデン[4]

139位(アメリカ[5]

アクセプト アルバム 年表

ロシアン・ルーレット
(1986年)イート・ザ・ヒート
(1989年)ステイング・ア・ライフ
(1990年)

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『イート・ザ・ヒート』(Eat the Heat)は、ドイツヘヴィメタルバンドアクセプト1989年に発表した8作目のスタジオ・アルバム。オリジナル・ボーカリストのウド・ダークシュナイダー脱退後としては初のアルバムで、アクセプトは本作を最後に一度目の解散をした[6]
背景

ダークシュナイダーは1987年にアクセプトを脱退してU.D.O.を結成したが、U.D.O.名義のデビュー・アルバム『アニマル・ハウス』には、古巣アクセプトのメンバーがソングライティングで貢献した[7]。一方、バンド側はイギリス人のロブ・アーミテイジ、アメリカ人のマイケル・ホワイトを後任ボーカリスト候補に挙げ、アーミテイジとはフォト・セッションも行われたが、最終的にはプロデューサーのディーター・ダークスの推薦により、アメリカ人のデヴィッド・リースが迎えられた[8]。本作のギター・パートは全編ともウルフ・ホフマンが演奏したが[1]、ジャケットには本作の制作後に加入したセカンド・ギタリスト、ジム・ステイシーも写っている[8]

本作のリリースに伴うツアー中、ステファン・カウフマンが腰痛により離脱し、ハウス・オブ・ローズのメンバーとして知られるケン・メリーが代役を務めた[8]。そして、1989年末にはアクセプトの解散が決定された[8]
反響・評価

母国ドイツのアルバム・チャートでは10週連続でトップ100入りしたが、最高15位に終わり、前作『ロシアン・ルーレット』(1986年)に続くトップ10入りは果たせなかった[2]。アメリカのBillboard 200では139位に達し、過去3作のスタジオ・アルバムを下回る結果となった[5]

ヴィンセント・ジェフリーズはオールミュージックにおいて5点満点中1.5点を付け「後任ボーカリストは、技量に関しては十分だが、当時における二流メタル・バンドのフロントマン達との差別化まではできていない。さらに悪いことに、バンドが過去に発表した、生々しくも音楽的に手堅かった傑作と比べると、陳腐に感じられることが多い」と評している[9]。また、さこたはつみは『BURRN!』誌1989年6月号のレヴューで100点満点中81点を付け、リースの声質に関して「ブラッキー・ローレスロブ・ハルフォードを足して2で割ったよう」、音楽性に関して「あの、鋼鉄の美学ともいうべきHM然としたサウンドを愛していた人にとって、この変貌はツライかもしれない」「個性は薄れた」と評している[10]
収録曲

全曲ともアクセプトとデフィの共作。
ヨーロッパ盤LP
サイド1

"X-T-C"

"Generation Clash"

"Chain Reaction"

"Love Sensation"

"Turn the Wheel"

サイド2



"Prisoner"

"Mistreated"

"Stand 4 What U R"

"Hellhammer"

"D-Train"

アメリカ盤LP
サイド1

"X-T-C"

"Prisoner"

"Love Sensation"

"Chain Reaction"

"Stand 4 What U R"

"D-Train"

サイド2



"Generation Clash"

"Turn the Wheel"

"Hellhammer"

"Mistreated"


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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