イーストロサンゼルス
CDP
イーストロサンゼルスのウェルカム・サイン
ロサンゼルス郡におけるイーストロサンゼルスの位置
北緯34度1分53秒 西経118度10分7秒 / 北緯34.03139度 西経118.16861度 / 34.03139; -118.16861
イーストロサンゼルス(East Los Angeles)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州南部に位置する都市。ロサンゼルスの東隣に位置する。また、ロサンゼルスの東側一帯の地域を指すこともある。しばしばEast L.A.、East Los、またスペイン語でEl Esteとも呼ばれる。
イーストロサンゼルスは正式な市ではなく、CDP(Census-Designated Place)と呼ばれる統計上の市域である。人口は2000年の国勢調査時で124,283人、2006年の推計では134,283人に増加している。
イーストロサンゼルスはインナーシティに形成された人口密度の高い住宅地である。住民の所得水準は低く、総人口の1/4以上が貧困状態にあり、特に18歳未満においては、その35%が貧困線以下の生活を送っている。また、同CDPの人口の99%以上はヒスパニック系である。一方、イーストロサンゼルスの北に近接するロサンゼルス市北東部の諸地域ではジェントリフィケーションが進んでおり、非ラテン系白人の中流以上の層が多く住んでいる。 スペイン人による入植が始まった時代、この地には聖ガブリエル大天使ミッション(Mission San Gabriel Arcangel イーストロサンゼルスはヒスパニック系やラテン系が集中する地区として知られているが、その淵源は20世紀初頭にさかのぼることができる。これらのラテン系の住民の多くはメキシコからの移民とその子孫である。 しかし、古くはこの地域にもラテン系以外の住民が住んでいた。1930年代に入ってロサンゼルスの西側の開発が進むまで、ロサンゼルス北東部には非ラテン系の白人が多かった。イーストロサンゼルスの西に隣接するボイルハイツ
目次
1 歴史
1.1 創設期
1.2 ラテン化
1.3 住民層の変化
1.4 ジェントリフィケーション
2 地理
3 人口動勢
4 出身者
5 関連項目
6 参考文献
7 外部リンク
歴史
創設期
ラテン化
イーストロサンゼルスでは非ラテン系白人とラテン系との民族間緊張が高かった。第二次世界大戦中の1943年に群発的に発生した暴動、ズート・スーツの暴動(Zoot Suit Riots)では、その暴力的行為の多くがダウンタウンのみならず、イーストロサンゼルスにおいてもなされた。 やがて、ヒスパニック系・ラテン系移民の2世・3世と呼ばれる世代はイーストロサンゼルスを離れ、南カリフォルニアの各地に散らばっていった。こうした動きは第二次世界大戦が終わるとすぐに始まった。これらの世代の住民のうち、社会的地位が上がり、収入が増えた者たちは、オレンジ郡やサンフェルナンドバレーなど中流層の住む郊外の住宅地に移住していった。その一方で、メキシコや中米からの新たな移民はイーストロサンゼルスの低所得者層地域に住みついた。 1970年代以降、ヒスパニック・ラテン系の移民はイーストロサンゼルスのほか、それまでは黒人の多かったコンプトン、リンウッド、ワッツ 1990年代後半に入ると、イーストロサンゼルスの北に広がる中流層の住宅地を中心にジェントリフィケーションが始まった。グレンデールとパサディナの間に位置するイーグルロック(Eagle Rock イーストロサンゼルスは北緯34度1分53秒西経118度10分7秒 イーストロサンゼルス 以下は2006年の推計による人口統計データである。 基礎データ 人種別人口構成
住民層の変化
ジェントリフィケーション
地理
人口動勢
人口推移 ⇒[1], ⇒[2]
1960年104,270人
1970年104,881人
1980年110,017人
1990年126,379人
2000年124,283人
人口: 134,283人
世帯数: 31,844世帯
家族数: 27,068家族
人口密度: 6,449.7人/km2(16,697.4人/mi2)
住居数: 33,096軒
住居密度: 1,613.7軒/km2(4,177.8軒/mi2)
白人: 0.15%(ヒスパニック系を除く)
アフリカン・アメリカン: 0.20%
ネイティブ・アメリカン: 0.21%
アジア人: 0.28%