イーストシカゴ市
City of East Chicago
イーストシカゴ市内を通るインディアナポリス・ブールバード(国道20号線
イーストシカゴ(East Chicago)は、アメリカ合衆国インディアナ州北西端、レイク郡のミシガン湖畔に位置する都市。その名が示す通り、シカゴ都市圏の東郊に位置しており、シカゴのダウンタウン(ループ)からは南東へ約30km[3]である。人口は26,370人(2020年国勢調査)[4]。 今日のイーストシカゴ市があるこの地は、もともとは農耕に適さない沼地であった。インディアナ州当局は1851年から、地元の学校の資金とするため、鉄道会社や投資家に土地を売却し始めた。こうした事情もあって、初期のこの地への移入は遅く、1890年代に入っても、街路や公共事業は未整備のままであった[5]。イーストシカゴは1889年に町制を、そして1893年に市制を施行した[3]。市名はシカゴの東に立地することからつけられた[6]。 1910年代のイーストシカゴ、ストリートカーも走った街並み(上)と、リパブリック・スチールの工場(下) 1900年の国勢調査時点での人口は僅か3,411人であったが、1902年にインランド・スチール社の大規模な平炉が建てられ[7]、翌1903年にイーストシカゴ会社(East Chicago Company、ECC)による宅地・都市開発が本格化する[3]と、イーストシカゴは工業都市として急速に成長を遂げるようになった。1907年には、市の南端部を東西に流れるグランド・キャルメット川と、ミシガン湖とを航行可能な水路で結ぶ、インディアナ・ハーバー運河が完成した。インディアナ・ハーバーやこの運河沿いでは、建ち並ぶ製鉄所や石油精製所、化学工場が操業して製造業が、また建設業も発展した[3]。 ここにリパブリック・スチール、ヤングスタウン・スチール、ラサール・スチール、USスチールも加わり、イーストシカゴは東隣のゲーリーと同様、鉄鋼の町として発展していった。第一次世界大戦中には、イーストシカゴはArsenal of America(アメリカの武器庫)、およびWorkshop of America(アメリカの工場)と呼ばれた[1]。
歴史