イヴ
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「イヴ」のその他の用法については「イヴ (曖昧さ回避)」をご覧ください。

「エワ」はこの項目へ転送されています。ナウルの地区については「エウァ地区」をご覧ください。

イヴ
ヴィクトル・カルロヴィッチ・シュテンベルによるイヴ
生誕3760 BC (ユダヤ暦)
4004 BC (アッシャーの年表)
エデンの園
死没2820 BC (ユダヤ暦) [940歳]
3064 BC (アッシャーの年表)[1]
不明
配偶者アダム
子供カイン
アベル
セト
アダムとイヴとサタンの対立」:
ルルワ
アクレミア
ヨベル書」:
アワン
アズラ
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イヴ(Eve、ヘブライ語: ??????‎ ?aww?h、ハヴァ、アラビア語: ????‎, ?aww??, ハウワー、ギリシア語: Ευά、エウア(エヴァ))は、旧約聖書において、人(アダム)の妻として彼の肋骨からが創造した女性に、人(アダム)が付けた名。なお、キリスト教新共同訳聖書並びに口語訳聖書においては「エバ」と表記されている女性の名の異称である。ユダヤ教キリスト教イスラム教で重要な人物とされている。彼女はの誘惑に負け、神の命令に逆らって善悪を知る木果実をアダムとともに食べてしまった。その結果、彼女達はエデンの園を追放され、原罪を受けた。
名前と起源

イヴという名前は、「呼吸をする」という意味のchavah(ハヴァ)や「生きる」という意味のchayah(ハヤー)に由来する。彼女の名前は、エバとして、旧約聖書に2度、新約聖書に2度、カトリック教会正教会旧約聖書続編(または第二正典)に1度しか登場しない。ヘブライ語では、子音で「ヘット(無声軟口蓋摩擦音)・ヴァヴ(軟口蓋接近音)・ヘー」と綴り、「???」と表記する[2]。なお、ヘブライ語の「???」には農場の意味がある。

歴史的に、後期青銅器時代エルサレムで信仰され、アマルナ文書の中にも登場するフルリ人女神Kheba(ヘバ)に由来すると見られてきた。Khebaの名前はさらにキシュ第3王朝を統治した最初の王Kubauに由来するとも指摘されている[3][4]。またアーシラトの紀元前1世紀頃の別名は、アラム語でChawatやHawwahというが、英語ではEveにあたる。

イヴは聖書で最初に言及される女性であり、彼女にイヴと名付けたのはアダムである。イヴはアダムとともにエデンの園に住んでいたが、聖書では、その間アダムは神の下で働いていたと記述されている。しかし最終的には堕罪によって2人は楽園を追放された。

ティンダルの翻訳によると、イヴというのはアダムが獣につけた名前で、彼の妻の名前はヘウアと呼ばれた。

エバ、エヴァ、或いはイヴ、イブ(: Eve に由来する)という読みはギリシャ語に翻訳された際のΕυά(エウア)に由来する。

イヴは聖人ではないが、中世頃より伝統的に、ドイツ、オランダ、ハンガリー、スカンジナビア、エストニア等では、12月24日アダムとイヴ聖名祝日が祝われている。ミケランジェロ・ブオナローティによるイヴの創造を描いたシスティーナ礼拝堂天井画
イヴの創造

イヴはエデンの園でアダムの妻として作られた。神は「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」(創世記2-18)と決意した。創世記2章21-22節では次のように述べられている。ロレンツォ・マイターニによるイヴの創造を描いたイタリアのオルヴィエートの大聖堂にある大理石のレリーフ

「神はアダムを深く眠らせ、アダムは眠った。神は彼の肋骨を1本取り、そこを肉で塞いだ。そして神はアダムから取った肋骨で女性を作り、彼女をアダムの元に遣わせた。」

イヴは、トビト記(viii, 8; Sept., viii, 6)でも言及されており、ここでは単にイヴはアダムの手伝いとして与えられたと述べられている。1505年頃のMontbenonで出土した彫刻

6世紀に、東方からヨーロッパに伝わったイスラエルの書物『ベン・シラのアルファベット』によると、イヴではなくリリスがアダムと同時に同じ塵から作られ、アダムの最初の妻となったとされている。さらにリリスは平等を要求し、性交時にアダムの下になることを拒否したと記述されている。アダムが彼女を自分の下にしようとすると、彼女はエデンから空に逃亡し、そこで悪魔と性交して妊娠し、1日に100人以上の子を産んだ。神は3人の天使を遣わせ、天使は彼女がアダムの元に帰ることを拒否すれば子供を殺すと脅した。しかしリリスは拒否したため、神はアダムの肋骨からイヴを作り、アダムの後妻とした。イヴと蛇を描いた聖書の挿絵

解剖学的に男女の肋骨の数は同じ24本である。この事実は1524年にフラマン人の解剖学者アンドレアス・ヴェサリウスによって指摘され、創世記の記述と矛盾するために大きな議論を巻き起こした。

この話のモチーフとして、女神ニンフルサグディルムンの中に野菜や果物が繁るエディヌという美しい庭園を造ったとするシュメール神話を起源としているという主張もある[5]。ニンフルサグは夫のエンキに野生動物の制御と庭園の手入れを担当させたが、エンキは庭園と手伝いのアルリムについて知りたがった。アルリムは7つの植物を選んでエンキに差し出し、エンキはそれらを食べた。このことでニンフルサグが激怒し、彼女はエンキを病気にした。エンキは肋骨に痛みを感じたが、シュメール語で"ti"は「肋骨」と「生命」の両方を意味する。別の神がニンフルサグをなだめ、怒りは収まった。ニンフルサグはエンキを治療するためにニンティという女神を作った。"Nin"は「女」という意味で、"Ninti"は「肋骨の女」または「生命の女」という意味である。ニンフルサグは全ての生物の母として知られ、イヴと同じ位置を占める。この話はアダムの肋骨からのイヴの創造の話と重なっているが、「肋骨」と「生命」が同じ単語で表されるのはシュメール語のみである。
誘惑、堕落、園からの追放アダムとイヴと蛇を描いたノートルダム聖堂の入り口にあるレリーフ

蛇は女性に、木の果実を食べても死なないことを告げた。「あなたが食べると、あなたの目は開き、善悪を知って神のようになれる。」[6]それで女性は食べ、男性にも渡し、男性も食べた。「すると2人の目は開き、彼らは自分が裸であることを知った。彼らはいちじくの葉を縫って下部を覆った。」男性と女性は神から隠れ、男性は果実を渡したことで女性を非難し、女性は蛇を非難した。神は蛇を呪い、「おまえの一生の毎日、腹で進め、塵を食べろ。」と言った。女性には子供を産むこととそれに伴う痛みの罰を与えて男性に服従させ、「おまえの望みはおまえの夫のものだ。そして彼はおまえを支配する。」と言った[7]。そしてアダムには人生を通した労働の罰を与え、「顔に汗をかくことで、地面に戻るまでパンを食べることが出来る。」と言った。男は妻をイヴと名付けた[8]。「なぜなら彼女は全ての生物の母だからだ。」

「見よ。」と神は言った。「男性は善悪を知る我々の1人のようになった。」神は2人をエデンの園から追放し、「彼が命の木にも手を伸ばして食べ、永遠の生命を得るといけないから。」エデンの園の門は智天使と炎の剣によって閉ざされた。
人類の母としてのイヴ

聖書によると、アダムとともに厳罰を受けたことで、イヴ(と彼女の後に続く女性)は出産の苦労という罰を受け、夫の支配下に置かれることになった。初期の反フェミニズムは、女性に対する性教育は神の罰に反するものだと主張した。信者は全ての人類はイヴの子孫だと信じていたが、イヴ以降の人間は女性から生まれるのにイヴのみが男性から生まれたことで、彼女を特別視していた。アダムとイヴはカインアベルという2人の子供を作った。


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