イヴ・タンギー
誕生日 (1900-01-05) 1900年1月5日
出生地 フランス共和国、パリ
死没年1955年1月15日(1955-01-15)(55歳)
死没地 アメリカ合衆国、コネチカット州ウッドベリー
レイモン・ジョルジュ・イヴ・タンギー(Raymond Georges Yves Tanguy, 1900年1月5日 - 1955年1月15日)は、20世紀のフランス出身の画家。 1900年、パリで生まれる。両親はブルトン人のルーツを持っていた。 1918年に軍隊に入隊。そこでジャック・プレヴェールと出会い、生涯交友をもった。1922年に兵役を終え、その後偶然ジョルジョ・デ・キリコの絵画を目にし、絵画に目覚めた。それまで全く美術経験はなく、正規の教育を受けずに独学で絵画を学んだ。 ジャック・プレヴェールの紹介で、1924年にアンドレ・ブルトン率いるシュルレアリスム運動の画家達と出会う。それからタンギーは独自の絵画様式を身につけ、1927年には初めての個展を行った。この個展を見てブルトンは、タンギーを「もっとも純粋なシュルレアリスト」であると評した。またこのころ、最初の結婚を経験する。
概要
第二次世界大戦の勃発にともない、タンギーはセージとともにアメリカに移住。1940年8月17日に、ネヴァダ州のリノで2人は結婚した。
1955年に、脳卒中で倒れ死去。遺灰は、セージの死後、友人のピエール・マティスによって、セージの遺灰と共にブルターニュ半島のドゥアルヌネの海岸にまかれた。 タンギーの作品は、昼とも夜ともつかず、どこともわからない果てのない海底のような空間で、骨片や小石のような物体(biomorph「生物的形態」と呼ばれることがある)がひしめきあっているものが多い。つけられるタイトルも奇妙なものであり、見る者をとまどわせずにはおかない。初期の作品には,「赤毛の少女」(1926)や「ファントマ」(1926)のように人間や旗,三角屋根の建物などの具象的モチーフが見られるが,後期の作品ではbiomorphが中心となり,大作「弧の増殖」(1954年)において頂点に達する。彼の作品はシュルレアリストたちの中でも異彩をはなっているが,一方,キリコにインスピレーションを受けたというだけあって,不穏な空,屹立する物体が地面に落とすくっきりしたシルエットなど,キリコやダリに通じるシュルレアリスム絵画共通のクリシェも取り入れている。彼の作風はケイ・セージに影響をあたえている。 *日本語の定訳がないものが多い。
作風
代表作
「創世記」Genesis(1926年)
「緩慢な日」Jour de lenteur(1937年)
「岩の窓のある宮殿」Le Palais aux rochers de fenetres(1942年)
「無限の分割可能性」Divisibilite indefinie(1942年)
「眠りの速度」La Rapidite de sommeil(1945年)
「水脈占い師」Les sourciers(1945年)
「想像上の数」Nombres imaginaires(1954年)(「虚数」と訳すべきかもしれない)
「弧の増殖」Multiplication des arcs(1954年)
表
話
編
歴
シュルレアリスム
芸術家
ウジェーヌ・アジェ
ジャン・アルプ
ケルテース・アンドル
上原木呂
アイリーン・エイガー
マックス・エルンスト
ジャック・エロルド
大島哲以
大塚耕二
尾澤辰夫
メレット・オッペンハイム
クロード・カアン
フリーダ・カーロ
加清純子
鎌田正蔵
北脇昇
レオノーラ・キャリントン
イセル・コフーン
フリオ・ゴンサレス
アルベルト・ジャコメッティ
古賀春江
インジフ・シュティルスキー
アンドレ・スーリー
ケイ・セージ
高井貞二
ドロテア・タニング
モーリス・タバール
サルバドール・ダリ
イヴ・タンギー
ウニカ・チュルン
マルセル・デュシャン
ポール・デルヴォー
クリスチャン・ドートルモン
オスカル・ドミンゲス
トワイヤン
ヴォルフガング・パーレン
レメディオス・バロ
レオノール・フィニ
ゴードン・オンスロー・フォード
福沢一郎
ルイス・ブニュエル
ビル・ブラント
エミー・ブリッジウォーター
ファニー・ブレナン
ヴィクトル・ブローネル
ハンス・ベルメール
ローランド・ペンローズ
ジャック=アンドレ・ボワファール
ドラ・マール
ルネ・マグリット
アンドレ・マッソン
ロベルト・マッタ
マルセル・マリエン
三岸好太郎
リー・ミラー
ジョアン・ミロ
ヘンリー・ムーア
デズモンド・モリス
矢崎博信
山元恵一
米倉壽仁
ヴァランティーヌ・ユゴー