インペリアル_(自動車)
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この項目では、クライスラーの独立ブランドのインペリアルについて説明しています。クライスラー・ブランドの1車種については「クライスラー・インペリアル」をご覧ください。

インペリアル(Imperial )は、1955年から1975年まで存在したクライスラーの独立した高級自動車ブランドである。

1981年から1983年までの短い期間のみ、一時的に復活した。
概要

かつてクライスラー・インペリアルはクライスラーの中でも最高級に位置するモデルであった。

同社が1955年に別個の高級ブランドとして「インペリアル」を独立させようと尽力。新しいモデルラインを創り出す手法として当然の選択であった。結果的にインペリアルはクライスラーの中で独立したブランドと部門になった。インペリアルは2、3年周期で新しいボディスタイルを導入し、全モデルがV型8気筒 エンジン、オートマチックトランスミッション(AT)とクライスラーの下位モデルの兄弟車に採用される技術を先取りして搭載していた。
1955 - 1956年:独立ブランド1955年式インペリアル"照準"型テールライトを備える後部

1955年にインペリアルはクライスラー・ブランドから独立したブランドとして導入、登録された。インペリアルは新しい「インペリアル ディヴィジョン・オブ・クライスラー コーポレーション」(Imperial Division of Chrysler Corporation )の製品であり、1955年から1963年までのインペリアル車のボディデザインを決めていたヴァージル・エクスナー(Virgil Exner )によるフォワードルック(Forward Look )を採用していた。

1955年式モデルはエクスナー自身の1952年のショーモデルのクライスラー・インペリアル パレードフェートン(Chrysler Imperial Parade Phaeton )の影響を受けていると言われた。ボディシェルは同じ年式の大型クライスラー車と共有していたが、インペリアルは幅広の卵型分割グリル(クライスラー 300 "エグゼクティヴ・ホットロッド" にも取り入れられた)と後部フェンダーの上に"照準"型テールライトを装着していた。車型は2ドアのニューポート ハードトップクーペ(3,418台生産)と4ドアセダン(7,840台生産)の2種類があり、エンジンはクライスラー製出力250馬力(186 kW)、排気量5.4L(331 cu in)の第一世代ヘミV8を搭載していた。

1956年式モデルは似通ってはいたがテールフィンは小さくなりホイールベースが多少伸ばされ、エンジン排気量は5.8L(354 cu in)に拡大され出力は280馬力(209kW)であった。車型には4ドアのサウザンプトン ハードトップ・セダンが追加された。
1957 - 1959年1957年以降のインペリアル・クラウントランクの蓋にコンチネンタル・タイヤ(continental tire)を模した膨らみ

1957年式モデルはヴァージル・エクスナーの"フォワードルック"スタイリング(同時期の他のクライスラーのフルサイズ車にも使用された)を更に大幅に取り入れたより大型のボディシェルを採用しデザインが刷新された。この車は、弾丸型グリルと4灯ヘッドライトの複雑な顔(同時期のキャディラックに酷似している)、背の高いテールフィンとインペリアルのトレードマークの照準型テールライトを備えていた。(392 cu in)に拡大されたヘミ型エンジンは最初の2年間に装備され、このボディスタイルでの3年目で最終年の1959年式は(413 cu in)のウェッジ-ヘッド型エンジンに換えられた。コンバーチブルがインペリアルとしては初めて用意され、中間モデルのクラウンシリーズでも選択できた。エクスナーの"ahead of the competition"スタイリングのお陰で販売は好調で、1957年式は最も売れたインペリアルとなった。

1957年式からインペリアルでは3段階のトリム・パッケージ(trim):スタンダード・インペリアル(インペリアル・カスタムとしても知られる)、インペリアル・クラウンと新しい超豪華なインペリアル・ルバロン(後者の名称はクライスラーが買収した戦前のクライスラー・インペリアルのシャーシに入念な架装をしたコーチビルダーに因んでいた。後年の安物クライスラー・ルバロンと混同しないように。)が選択できた。1950年代末から1960年代初めにかけてのスタイリングは、車に付けられたものとしては最大の大きさの羽を持つ"より長く、より低く、より幅広い"ボディになり続けた。

1958年式モデルは"自動操縦(Auto-Pilot)"と呼ばれるクルーズコントロール機能が導入されたことで特筆される。これはインペリアル、クライスラー・ニューヨーカーとウィンザーの各モデルで装着できた[1]

1959年式モデルには6ウェイ前席電動ベンチシートの機能の一部として回転シートが導入された。元々は前部ドアが開かれた時にケーブルによりシートが自動的に回転するものであったが、これは直ぐに取り外されレバー操作による手動式でのみ作動するようにされた。

最大の1959年式インペリアルのコレクション[2]
1960 - 1963年1961年式 インペリアル 4ドア

1960年式インペリアルは多くの点でインペリアル車の中で最も象徴的かつアイコン的なモデルであった。1960年式モデルの外観は、攻撃的な形状の前部バンパー、大口の開いた網状ラジエターグリル、盛大に奢られたクローム類、庇のかかった4灯ヘッドライトといった非常に"1950年代"風な顔付きとボディ後部の羽を持っていた。幾つかのモデルではオプションでスペアタイヤを模したトランクの蓋のバルジ(張り出し)を注文できたが、この一過性の流行は1959年式モデルのプリムスでも取り付けられるようになるとインペリアルの購入者からは避けられるようになった。この年式のインペリアルの羽は、恐らく1959年式モデルのキャデラックを除けば今まで造られた中でも最も幅広で大きなものであった。この羽の最上部にはクロームの環状の傘に囲まれた砲弾型のテールライトが付いていた。1960年式モデルのラジエターグリルと前部バンパーは分厚いクロームの巨大部品であり、片側2灯式のヘッドライトの上に突き出した「畝の入った眉毛('furrowed brows')」状のフェンダーと共にこの車に重厚感を与えていた。ダッシュボード上のオートマチックトランスミッションを操作する押しボタンとクロームの凝った造作もこの車を際立たせていた。1963年式 インペリアル・クラウン1963年式 インペリアル・クラウン

1961年式モデルは前部フェンダーのえぐれた部分に短い支柱で「屹立」したヘッドライトを付けた全く新しい顔付きと更に背の高い羽を後部に持っていた。1962年式モデルでは羽は真っ直ぐに伸びたフェンダーに取って代わられ、1955年式モデルの様にその上に独立したテールライトが載っていたがこのライトは長さがあり流線型をしていた。ラジエターグリルは再び分割され、大きな屹立した円形ののオーナメントが初めて付けられた。

技術陣は1962年式モデルに新しい細身のトルクフライト(TorqueFlite)・オートマチックトランスミッションを与え、これで変速機用の床トンネルの「盛り上がり」が小さくて済んだ。このことにより前席中央に座る者は非常に快適であった。1962年式モデルはインペリアル専用組立工場で製造された最後の車でもあった。これ以降の全てのインペリアルは通常のクライスラー・ブランドの他のモデルと同じ工場で製造された。

1963年式モデルでは再び分割ラジエターグリルが消え、幾つもの長方形のクローム枠で仕切られた形となり、テールライトは時流に則って初めて後部フェンダーの内に置かれた。加えて、デザイナーは2ドア・ハードトップの屋根のラインを4ドアのモデルに似せるように変更した。1963年式モデルは最後のヴァージル・エクスナー作のインペリアルであり、1953年式から1959年式モデルのインペリアルは自動車デザインとしての評価が最も高かった。
1960年代半ばのインペリアルのフレーム

1960年代のインペリアルの主な特長はその頑丈さにあった。その耐衝突性能は壊すのが困難なためにデモリション・ダービーへの出場を禁じられた。1960年モノコック構造へ移行した他のクライスラーのブランド(プリムスデソート、クライスラー、ダッジ)とは異なり、インペリアルは頑固にも1966年モデルまで独立したペリメーターフレーム(perimeter frames)を持っていた。この堅固なフレームは「"x"」状のクロスメンバー(crossmember)を持ち、完全な箱型を形成していた。プロペラシャフトは「"x"」状のフレームに空いた穴を貫通していた。興味深いことにパーキングブレーキはクライスラー車代々の慣例通りプロペラシャフトを止める方式で、後輪のドラムブレーキには繋がっていなかった。
1964 - 1966年1966年式 インペリアル・クラウン クーペ1966年式 インペリアル・クラウン コンバーチブル1966年式 インペリアル・ルバロン

1961年にクライスラーは、フォード・モーターから1961年式リンカーン・コンチネンタル(Lincoln Continental:ジョン・F・ケネディ大統領が暗殺されたときに乗車していたのと同タイプ)をデザインしたエルウッド・エンゲル(Elwood Engel)を獲得することに成功した。エンゲルのデザインはヴァージル・エクスナーの羽からは程遠い直線を基調としたより角張った親しみ慣れた「スリーボックス("three-box")」型であった。1964年式リンカーンと1964年式インペリアルはデザイン上で多くの同じ特徴を有していた。分割ラジエターグリルが復活し、擬似スペアタイヤ・バルジはトランクの蓋上から後部へ移り後部バンパーにまで及ぶ角張った瘤を形成していた。両端にテールライトを備える左右に広がるクロームの帯の中央部にある大きなインペリアルの鷲の紋章が描かれた大きな盾は実際には給油口の蓋であった。ベースモデルのインペリアル・カスタムは廃止され、4ドア・ハードトップセダン、2ドア・ハードトップ クラウン・クーペやコンバーチブルモデルではインペリアル・クラウンかインペリアル・ルバロン版の内装が提供された。


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