インベーダーゲーム
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トビー・フーパー監督の同名映画については「スペースインベーダー (映画)」をご覧ください。

スペースインベーダー
ジャンル固定画面シューティング
対応機種アーケード
対応機種一覧

Atari 2600
SG-1000
MSX
ファミリーコンピュータ
PCエンジン
ゲームボーイ
メガドライブ
PC-9801
スーパーファミコン
PCエンジンスーパーCD-ROM2
バーチャルボーイ
セガサターン
PlayStation
ワンダースワン
iモード
EZアプリ
Nintendo Switch (NS)

開発元タイトー
発売元タイトー[注釈 1]
デザイナー西角友宏
プログラマー西角友宏
音楽亀井道行
シリーズスペースインベーダーシリーズ
人数1 - 2人(交互プレイ)
メディア業務用基板(8キロバイト
発売日 1978081978年8月
197812311978年12月31日
発売日一覧

A26
1980年
SG
1985年
MSX
198504011985年4月1日
FC
198504171985年4月17日
PCE
199003021990年3月2日
GB
199003301990年3月30日
MD
199009071990年9月7日
1991年
PC98
1992年
SFC
199403251994年3月25日
1997111997年11月
PCECD
199507281995年7月28日
VB
199512011995年12月1日
SS
199612131996年12月13日
PS
199707311997年7月31日
WS
199905131999年5月13日
iモード
200101182001年1月18日
EZアプリ
200305082003年5月8日
アーケード(NESiCAxLive)
201103102011年3月10日
NS
202003262020年3月26日


デバイス 2方向レバー+1ボタン
3ボタン

CPU8080 (@ 1.9968 MHz)
サウンド

SN76477 (@ 1.9968 MHz)
LM3900
NE556
ディスプレイラスタースキャン
縦モニター
256×224ピクセル
60.00Hz
白黒モニター、もしくはカラーモニター[1]
売上本数約20 - 30万台
テンプレートを表示
スペースインベーダー。アップライトタイプ。[2][3]テーブル筐体のインベーダーゲーム。亜流品。[注釈 2]

『スペースインベーダー』(Space Invaders)は、株式会社タイトー1978年6月に発表し[4]、同年8月から[5]稼働を開始したアーケード固定画面シューティングゲーム

本作は日本のアーケード史上最大のヒット作であり[6]、タイトーによる純正品が約10万台、許諾先メーカーからのものが約10万台、許諾なしのコピー品が約30万台出荷されたと推定されており、ブームとなった1年半足らずの間に計50万台が日本中に出回った[6]

後に多くの家庭用ゲーム機携帯電話アプリ向けにも移植された。また、シリーズ化され様々な作品が発売されている(#シリーズ一覧を参照)。

「スペースインベーダー」はタイトーの登録商標である[7]。一方、タイトーの純正のスペースインベーダーを初めとする同社の後継製品、および他社製のコピー品、模倣品、類似商品などを広くひとまとめに総称する場合は(正規ライセンス品でないものをタイトーの登録商標で呼んではいけないので)「インベーダーゲーム」と呼ばれ、2つの名称は使い分けられている。

2018年、発売から40周年を迎えた年に、タイトーは本作を発表会で初御披露目した6月16日を「スペースインベーダーの日」に制定、日本記念日協会に正式に認定された[8]
概要

スペースは宇宙インベーダー侵略者を意味する英語で、侵略してくる宇宙人(インベーダー)を迎撃するシューティングゲームである(ゲームコンセプトについては「開発」の節で解説)。画面上方から迫り来るインベーダー(敵キャラクター)を、左右に移動できるビーム砲で撃ち、インベーダーを全滅させることを目的とする。時々、上空に敵母艦のUFOが出現し、これを撃ち落とすとボーナス点を獲得できる。
画期性、新規性

それまでのビデオゲームでは「シューティングゲーム」といっても、ただのターゲットを狙って弾を撃つだけのいわゆる「的当て(まとあて)」ゲームであり[9]、「のんびり」していて向こうからは攻撃してこないし、自分が何もしなくてもせいぜい点数が入らないというだけで、3分間は遊ばせてくれる、というものだった[9]。それに対して本作は敵と対戦するような形のゲームであり、そこが画期的だった[9]。また、それまでのシューティングゲームは前述の通りあらかじめ決められた分数遊ばせてもらえる、というシステム(「時間内に何点獲得できるか」というルール)だったが、本作では上手な人が長く遊べる、というルールを採用した[9]。また難易度の設定に関しても、それまでのアーケードゲームというのはゲーム会社上層部の年配の人々の判断によって年配の人でも遊べるような、かなり容易な難易度設定がされるものだったが、本作は若者層が楽しめるような比較的難しい難度設定が、開発者の西角友宏の判断によって採用された[9]
大ヒットと社会現象化

本作は登場した当時大ヒットし、数々の社会現象を生み、テレビゲームを象徴する存在ともなった。昭和時代や戦後の通俗文化史を解説する書籍などで、特筆すべきこととして語られることが多い。たとえばインベーダーゲームばかりを設置した「インベーダーハウス」と呼ばれるゲームセンターが全国各地で次々と開店し、若者らが本作をプレイしようと順番待ちの行列を作ったことや、喫茶店やスナックのオーナーらがこぞって店内のテーブルの多くを本作のテーブル型筐体に置き換え、客たちも本作をプレイすることに熱中したことなどである。他にもこの種のエピソードには事欠かない(本作が業界及び社会に与えた影響の詳細については、#ヒットと社会現象の節で解説)。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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