インプレッションズ
The Impressions
インプレッションズ(1964年)。左から、サム・グッデン
ジ・インプレッションズ(The Impressions)は、1958年結成のシカゴ出身の音楽グループで、ドゥーワップ、ゴスペル、ソウル、R&Bを歌った。
前身はチャタヌーガのザ・ルースターズ。シカゴに引っ越し、ジェリー・バトラーとカーティス・メイフィールドが加入し、ジェリー・バトラー&ジ・インプレッションズとなった。
バトラーが独立後、ABCパラマウント・レコードに移籍し、メイフィールドらでトップ・バンドになる。1970年にメイフィールド独立。リロイ・ハトソンなどが入った。
1960年代の一連のヒット曲で知られ、後にロックの殿堂入り。彼らの曲は1960年代のアフリカ系アメリカ人公民権運動のアンセムとなった[6]。1998年、「ピープル・ゲット・レディ」がグラミーの殿堂に入った。 1950年代半ばにバトラーとカーティスがシカゴの聖歌隊で出会う。2人はいろいろな地元バンドで歌った後、ザ・ルースターズに1957年加入[7]。1958年、エディ・トーマスがマネージャーになり、ヴィージェイ・レコードと契約。ジェリー・バトラー&ジ・インプレッションズとなる。 バトラーが書いた1958年のシングル「フォー・ユア・プレシャス・ラブ」はポップで11位、R&Bで3位になる[8]。 R&Bでトップ30になった「Come Back My Love」の後、バトラーが独立。カーティスが引き継ぐ[7]。 メイフィールドはバトラーの初期のヒット群を書き、印税でシカゴに引っ越した。ABC-パラマウントと1961年に契約、インプレッションズ単独で初のシングル「ジプシー・ウーマン」を発表、R&B2位、ポップ20位となった[8]。 その後、プロデューサーのジョニー・ペイト 1967年12月に発表した「ウィアー・ア・ウィナー」は翌年、ビルボードR&Bチャートの1位を記録した[9]。1968年、I Loved and Lost を発表し、メイフィールドは自分の会社カートム(Curtom)を立ち上げ、インプレッションズも所属[7]。メッセージ・ソング「Choice of Colors」(1969年) 、「Check Out Your Mind」(1970年)のヒットが続いた。 インプレッションズはジャマイカのボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズやスカ/ロックステディの集団・歌手に影響を与えた。ザ・ウェイラーズはハーモニーのスタイルをインプレッションズに負い、「One Love/People Get Ready」(Bob Marley / Curtis Mayfield) 、「Keep On Moving」、「Long Long Winter」、「Just Another Dance」でインプレッションズをカバー(もしくは引用)した。Pat Kelly アルバム『Check Out Your Mind』を1970年に発表後、メイフィールドがソロになり、映画『スーパーフライ』のサウンドトラックが最も売れ、映画『愛しのクローディン
歴史
初期
ABC-パラマウントでの成功
社会意識
メイフィールド独立
メイフィールドの後釜はリロイ・ハトソンが務めたが、あまり成功せず、ハトソンは1973年に脱退した[7]。 代わってラルフ・ジョンソンとレジー・トリアンが加入し[7]、1974年から1975年にかけて「Finally Got Myself Together (I'm a Changed Man)」、「Same Thing it Took」、「Sooner or Later」が大ヒット。1976年、グループはCurtomを去りコティリオン・レコードと契約。最後のヒット「Loving Power」が発表された。 その後、20世紀フォックス・レコード
後期
1991年にロックの殿堂、2003年にヴォーカル・グループの殿堂入り[12] [11][13]。