インプレッションズ_(音楽グループ)
[Wikipedia|▼Menu]

インプレッションズ
The Impressions
インプレッションズ(1964年)。左から、サム・グッデン、カーティス・メイフィールド、フレッド・キャッシュ
基本情報
出身地 アメリカ合衆国 テネシー州チャタヌーガ
ジャンルR&Bドゥーワップシカゴ・ソウルソウルゴスペル
活動期間1958年 - 2018年
レーベルABCパラマウントHMVヴィージェイ、カートム、ユニバーサル、RSO、コティリオン

旧メンバーフレッド・キャッシュ
サム・グッデン (2022年死去[1])
ジェリー・バトラー
カーティス・メイフィールド (1999年死去[2])
ネイト・エヴァンズ
アーサー・ブルックス
リチャード・ブルックス
リロイ・ハトソン
ラルフ・ジョンソン(2016年死去[3]
ヴァンディ(スモーキー)・ハンプトン (2005年死去[4])
ウィリー・キッチェンズ
レジー・トリアン (2016年死去[5])
初期メンバーのカーティス・メイフィールド(1972年)

ジ・インプレッションズ(The Impressions)は、1958年結成のシカゴ出身の音楽グループで、ドゥーワップゴスペルソウルR&Bを歌った。

前身はチャタヌーガのザ・ルースターズ。シカゴに引っ越し、ジェリー・バトラーカーティス・メイフィールドが加入し、ジェリー・バトラー&ジ・インプレッションズとなった。

バトラーが独立後、ABCパラマウント・レコードに移籍し、メイフィールドらでトップ・バンドになる。1970年にメイフィールド独立。リロイ・ハトソンなどが入った。

1960年代の一連のヒット曲で知られ、後にロックの殿堂入り。彼らの曲は1960年代のアフリカ系アメリカ人公民権運動アンセムとなった[6]。1998年、「ピープル・ゲット・レディ」がグラミーの殿堂に入った。
歴史
初期

1950年代半ばにバトラーとカーティスがシカゴ聖歌隊で出会う。2人はいろいろな地元バンドで歌った後、ザ・ルースターズに1957年加入[7]。1958年、エディ・トーマスがマネージャーになり、ヴィージェイ・レコードと契約。ジェリー・バトラー&ジ・インプレッションズとなる。

バトラーが書いた1958年のシングル「フォー・ユア・プレシャス・ラブ」はポップで11位、R&Bで3位になる[8]

R&Bでトップ30になった「Come Back My Love」の後、バトラーが独立。カーティスが引き継ぐ[7]
ABC-パラマウントでの成功

メイフィールドはバトラーの初期のヒット群を書き、印税でシカゴに引っ越した。ABC-パラマウントと1961年に契約、インプレッションズ単独で初のシングル「ジプシー・ウーマン」を発表、R&B2位、ポップ20位となった[8]

その後、プロデューサーのジョニー・ペイトと組んでサウンドを刷新し、「イッツ・オールライト」が1963年にミリオン、ポップで4位となった[8]。1963年の最初のLPThe Impressionsの終曲になった。1964年に黒人の誇りの応援歌「キープ・オン・プッシング」がヒット。社会意識・政治意識を持つ歌が増えた。1965年、「ピープル・ゲット・レディ」がヒット。
社会意識

1967年12月に発表した「ウィアー・ア・ウィナー」は翌年、ビルボードR&Bチャートの1位を記録した[9]。1968年、I Loved and Lost を発表し、メイフィールドは自分の会社カートム(Curtom)を立ち上げ、インプレッションズも所属[7]。メッセージ・ソング「Choice of Colors」(1969年) 、「Check Out Your Mind」(1970年)のヒットが続いた。

インプレッションズはジャマイカボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズスカ/ロックステディの集団・歌手に影響を与えた。ザ・ウェイラーズはハーモニーのスタイルをインプレッションズに負い、「One Love/People Get Ready」(Bob Marley / Curtis Mayfield) 、「Keep On Moving」、「Long Long Winter」、「Just Another Dance」でインプレッションズをカバー(もしくは引用)した。Pat Kellyは「Soulful Love」を、The Heptonesは「I've Been Trying」をカバー。ハーモニーともども社会的な歌詞が彼らにアピールしたのだと考えられる。
メイフィールド独立

アルバム『Check Out Your Mind』を1970年に発表後、メイフィールドがソロになり、映画『スーパーフライ』のサウンドトラックが最も売れ、映画『愛しのクローディン』、『スパークル(英語版)』のサウンドトラック(英語版)、映画『シドニー・ポワチエ/ピース・オブ・アクション(英語版)』のサントラ(英語版)も担当した。その間もインプレッションズの曲の作曲・制作は行っていた。

メイフィールドの後釜はリロイ・ハトソンが務めたが、あまり成功せず、ハトソンは1973年に脱退した[7]
後期

代わってラルフ・ジョンソンとレジー・トリアンが加入し[7]、1974年から1975年にかけて「Finally Got Myself Together (I'm a Changed Man)」、「Same Thing it Took」、「Sooner or Later」が大ヒット。1976年、グループはCurtomを去りコティリオン・レコードと契約。最後のヒット「Loving Power」が発表された。

その後、20世紀フォックス・レコードと契約するも鳴かず飛ばず[10][11]。2001年になって、エリック・クラプトンのアルバム『レプタイル』に参加した。

1991年にロックの殿堂、2003年にヴォーカル・グループの殿堂入り[12] [11][13]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:29 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef