インフレターゲット(英: inflation targeting)とは、物価上昇率(インフレ率)に対して政府・中央銀行が一定の範囲の目標を定め、それに収まるように金融政策を行うこと[注 1]。ほとんどの場合は、インフレ率が高くなりすぎることを防止し、目標値まで下げるよう誘導するが、その逆の場合もある。
類似政策として物価水準目標というのもある[1]。こちらはある年の一般物価水準を基準として、それに決められた上昇率分を加えたものをターゲットにするもので、物価水準が目標未達成の場合は未達成率+決められた上昇率をあわせて、あくまで決められた物価指数まで上げることである。違いは、過去の誤りを相殺するかしないかの違いとなる。 インフレターゲットは元々、高いインフレ率に苦しむ国で採用された[2]。インフレ率が低い時は、通貨量を意図的に増加させて(公開市場操作)緩やかなインフレーションを起こして、経済の安定的成長を図る政策(リフレーション、通貨再膨脹)となる。貨幣数量説が不安定となったことが導入の背景にある。 経済学者のアーヴィング・フィッシャーは、世界恐慌で、貨幣供給を増やし物価水準を負債契約が結ばれた時点の水準にまで引き上げ、その水準を維持する必要があると主張した(物価水準目標)[3]。 歴史上、最初のインフレターゲット採用国はスウェーデンであり、中央銀行リクスバンクが1931年に「通貨プログラム」という名で物価水準目標を設定している(1937年まで)[4]。 1930年代に物価水準目標(英語ではprice-level target)を実施したスウェーデンを除くと、世界で最初にインフレ目標政策を採用したのはニュージーランドである(1990年)[5][注 2]。 1990年のニュージーランドで導入されたのを皮切りに、1990年代イギリス・スウェーデン・カナダ・オーストラリア等でも実施され、つづいてブラジル・チリ・イスラエル・大韓民国・メキシコ・南アフリカ・フィリピン・タイ王国・チェコ・ハンガリー・ポーランドなど、2012年現在は20カ国以上で導入されている。 IMFの監視下に置かれた韓国、タイ、インドネシアは、1998年から2000年にかけてインフレーション・ターゲティングを導入した[6]。韓国は、1998年にアジアで最初のインフレーション・ターゲティング採用国となった[6]。中央銀行は金融調節を、マネーサプライを中間目標として用いる方式から金利操作によりインフレ目標を達成する方式へと転換した[6]。 アメリカ合衆国の中央銀行にあたる連邦準備制度(FRB)は他の中央銀行とはことなりインフレ率以外にも雇用(Employment Act of 1946)に責任を負っており、いわゆるインフレターゲットは採用していなかったが[7]、2006年にインフレターゲットの主唱者であるベン・バーナンキがFRB議長に就任。近い将来導入されるのではないかと見られていたが、2012年1月25日に長期インフレ目標値を公表する方針を示し事実上の(FRBの自律的)インフレターゲット導入に転じた[8][9]。 2012年時点で先進国においてインフレターゲットが採用されていないのは日本のみであったが[10]、2013年1月22日に日本銀行は「中長期的な物価安定の目途」を「物価安定の目標(Price Stability Target)」に変更し、物価上昇率を1%から2%に引き上げた[11][12][13][14]。 健全なインフレ率は、人類の経験則から2-3%といわれている[15]。多くの中央銀行で物価目標を設定する試みが行われているが、設定するインフレ率(例えばイギリスは2.0±1%)や政策目標への拘束力などは様々である。日本銀行は物価目標を2%とした根拠について、消費者物価指数が実態より上振れしやすく「1%では、実際にはゼロ%からデフレである可能性があるため」と説明している[16]。 世界の中央銀行の大半が2%プラス・マイナス1、あるいは1-3%という範囲でインフレ目標を設定し、中心値は2%である[17]。 物価には、消費者物価指数、個人消費支出物価指数、GDPデフレーターなどいくつかの種類があり、どの指標に従って上昇率を決めるかは国によって異なる。食品とエネルギーは価格変動が激しいので除外されることが多い。
経緯
各国の設定
目標
対象
日本 - 日本銀行は生鮮食品を除いたコアCPI[18]を物価目標の指標として採用する一方で、日本政府は2013年に生鮮食品及びエネルギーを除いたコアコアCPI[19]で判断する方針を明らかにしている[20]。
米国 - 消費者物価指数(CPI)ではなく個人消費支出(PCE)物価指数を対象としている[21]。