インフルエンザウイルス
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インフルエンザ菌」あるいは「パラインフルエンザウイルス」とは異なります。

この項目では、病原体について説明しています。症状については「インフルエンザ」をご覧ください。

インフルエンザウイルス

分類

域:リボウイルス域 Riboviria
:オルソルナウイルス界 Orthornavirae
:ネガルナウイルス門 Negarnaviricota
:インストウイルス綱 Insthoviricetes
:アーティキュラウイルス目 Articulavirales
:オルトミクソウイルス科Orthomyxoviridae(一部)




A型インフルエンザウイルス

B型インフルエンザウイルス

C型インフルエンザウイルス

D型インフルエンザウイルス

インフルエンザウイルス(: influenza virus, flu virus)は、ヒト人間)に感染して、感染症であるインフルエンザを引き起こすウイルス

ウイルスの分類上は「エンベロープを持つ、マイナス鎖の一本鎖RNAウイルス」として分類されるオルトミクソウイルス科に属する、A型インフルエンザウイルスB型インフルエンザウイルスC型インフルエンザウイルスD型インフルエンザウイルスの4属4種を指す。ただし一般に「インフルエンザウイルス」と呼ぶ場合は、特にA型・B型のものを指し、その中でもさらにヒトに感染するものを意味する場合が多い(インフルエンザワクチンはC型・D型を対象としていない)。またヒト以外のインフルエンザウイルスは、それぞれ分離された動物の名前またはその略をつけて呼ばれるが、ヒトの場合は本項のように省略される。

本来はカモなどの水鳥自然宿主として、その腸内に感染する弱毒性のウイルスであったものが、突然変異によってヒトの呼吸器への感染性を獲得したと考えられている。
前史「インフルエンザの流行」も参照
近代まで

インフルエンザと人類の関わりは古く、古代エジプト時代には既にこの感染症が知られていたことが記録に残っている。ただし、インフルエンザを科学的に判定できるようになったのは20世紀以降のことで、それ以前の実績については流行特性や症例などからの推定であり、インフルエンザウイルスによるものかどうかは確かではない。そのため「インフルエンザ流行が記録された事例」も文献により様々である。

古代ギリシャヒポクラテスの記録『流行病』(紀元前5世紀)にもインフルエンザではないかとみられる記述がある[1][2]古代ローマティトゥス・リウィウスも、震えと高熱、流行の早さといったインフルエンザの特徴を持つ病気を記録している[3]

日本の増鏡には、元徳元年(1329年頃)に「シハブキヤミ(咳病)」が流行したとの記録が残されており、これもインフルエンザである可能性が高い[3]

ヨーロッパでは1173年から1174年にかけてインフルエンザと思われる症状の流行が記録されており、これがインフルエンザの初めての記録とされることもある[4]

また、1510年にはイギリスのジョンストンが、症状と、マルタ - シチリア - イタリア - スペイン - フランス - イギリスという流行経路を記録し、これがヨーロッパにおける正確な記録の最初とされる場合がある[5]。以後は記録が多くなり、特に大きかった流行としては1580年、1729-33年、1781-82年、1830-33年などが挙げられる[3]
近代以降1918年から1919年にかけてのスペインかぜの死者数の推移 1918年10月から11月にかけて、ニューヨーク、ロンドン、パリ、ベルリンにおいて死者が急増している

1876年コッホによる炭疽菌の発見以降、様々な感染症についてその病原体が分離・発見されていったが、インフルエンザ病原体の発見は困難を極めた。

1889年から1900年にかけて、世界中でインフルエンザが大流行した(ロシアかぜ)。特に1889-1891年はヨーロッパ、アメリカで大流行した[1]。ただし、症例からみて、いくつかの型が同時に流行した可能性がある[5]。当時はまだヘマグルチニンウイルス・ノイラミニダーゼによる区分は行われていなかったが、A型インフルエンザウイルスの内のH2N2亜型[6]、H3N8亜型[7]、H2N8亜型[3]などであったと考えられている。ただし、この流行はインフルエンザではなく、ヒトコロナウイルスOC43によるものだったという仮説も主張されている[8][9]

1892年北里柴三郎リヒャルト・プファイファーがインフルエンザ患者の気道から病原体の候補となる細菌を分離し、Haemophillus influenzae(インフルエンザ菌)と名付けたが、コッホの原則に基づいた証明には至らなかった。実際、歴史的経緯のため今も名前が残っているが、インフルエンザ菌は、疾病「インフルエンザ」の原因ではなかった。しかし、しばしばインフルエンザに続発した呼吸器感染症の原因となる。なお、当時はまだウイルス自体が認知されておらず、ディミトリ・イワノフスキーによってウイルス(タバコモザイクウイルス)の存在が初めて報告されたのが、北里の発見と同じ1892年のことである。

1902年、イタリアのツェンテニ(Centanni)とサボヌツィ(Savonuzzi)は、家禽ペストの原因がウイルスであることを証明した。これは世界で4番目に発見されたウイルスだったが、ヒトと症状が異なっていたこともあり、当時はA型インフルエンザウイルスであることまでは分からなかった[4]スペインかぜウイルスのTEM写真


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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