インフォグラム・エンターテインメント
Infogrames Entertainment SA種類公開会社
市場情報Euronext: ATA
インフォグラム・エンターテインメント(英: Infogrames Entertainment SA、IESA)は、フランスのリヨンを本拠地とする持株会社。ニューヨーク市を本拠地とするアタリ(Atari, Inc.)とアタリ・ヨーロッパの親会社。1983年、Bruno Bonnell と Christophe Sapet がコンピューター入門書の収益を元手に創業した。傘下の子会社を通して、主なゲーム機やパソコンなどを対象としてコンピュータゲームを開発販売している。
2009年の株主総会で、「インフォグラム」と「アタリ」の二重ブランドによる混乱を解消するため、アタリ(Atari SA)へと改称することを決定した。 創業者は社名を Zboub Systeme(zboub とはフランス語で「ペニス」の意)にしようとしていたが、法律家が説得して思いとどまらせた[4]。創立者の一人ボーネルがテレビのインタビューで語ったところによると、彼らは異質な言葉を組み合わせて新語を作るコンピュータープログラムを使い、それで出てきた言葉の1つが "Infogramme" だったという。これはフランス語の単語である "informatique"(情報技術)と "programme"(プログラム)を組み合わせたかばん語である。これを若干修正した "Infogrames" が最終的に社名として採用となった。 ロゴはアルマジロをデザインしたもので、現在の本拠地に移転した際に使うようになった。ボーネルはこれについて、「この恐竜(原文では dinosaure)は我々のシンボルだ。アルマジロは氷河が溶け出し砂漠化する最悪の事態まで、環境の変化に適応して生き延びてきた」と述べている[4]。 1980年代末ごろには、インフォグラムはフランスのコンピューターゲームメーカーとして知られるようになった。ゲームのアイデアが独創的で、内容がユーモラスという特徴があった。タンタン、アステリックス、Les Tuniques Bleues
創業期
1992年、3Dホラーアドベンチャーゲーム『アローン・イン・ザ・ダーク』をリリースし国際的に注目を集めた。 1996年、Bruno Bonnell率いるインフォグラムは、7年の月日と5億ドルの資金を費やし、一連の企業買収を開始した。これはインフォグラムをゲーム業界の国際的トップ企業にするという決意に基づいている[5]。1999年には5500万ドルだった債務が2002年には4億9300万ドルに膨らんだが、売上高も2億4600万ドルから6億5000万ドルに成長した[6]。 1996年、IESAは約1億ドルでOcean Software
1996年-2002年 買収による成長
1998年、IESAはゲーム販売業のOziSoftの株式を62.5%取得してInfogrames Australiaとし[9]、残る株式もセガなどから買い取って2002年に完全子会社化した[10](総額370万ドル[6])。