インナーシティ
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「インナー・シティ」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「インナー・シティ (曖昧さ回避)」をご覧ください。
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ニューヨークサウスブロンクス(1980年)

インナーシティ(Inner city)とは、大都市の都心周辺に位置し、住宅・商店・工場などが混在する低所得地域のこと。

都市 (city) の内部 (inner) にありながらも、治安悪化によりその都市全体の市民との交流が隔絶された低所得世帯が密集する近隣住区「都心近接低所得地域」。
語義

語義で見ると、都心を中心とした同心円状構造に都市を単純化して見た場合、都心とその周囲がインナーシティとなる。第二次世界大戦後のアメリカの大都市ではUrban decay(都心の荒廃)が顕著となり、White flight(ホワイト・フライト)により、都心に残された黒人を主体とした低所得層の住環境の悪化が社会問題となった。これを遠回しな言い方で「インナーシティ問題」と呼ぶようになった。都市問題としての「インナーシティ」では都心部をインナーシティと定義せず、都心と郊外に挟まれた都心近接の地域を指すことが多い。
概要

一般に、都市はそれぞれの地区によって機能分担がされているが、インナーシティは、機能分担に関係しておらず、孤立した地域となっている。

自然障壁のない、徒歩移動のみの同心円状・放射状道路都市モデルを設定した場合、中心部が最も地価が高く、周辺部にいくにつれて地価が安くなり、中心部は業務・商業地、周辺にいくにつれて高所得世帯から低所得世帯へと連続的に変化するが、インナーシティは、この地価の連続変移性とは無関係に、中心部に接して存在する地価の安い島状地域として認められ、低所得世帯の集住地域として定義される。
スラムとの違い

スラムは「都市のどこにあるか」という地理的な意味を含まないのに対し、インナーシティは「都市の内部」、特に「都心近接」という地理的な意味合いがある。

インナーシティは、地理的に都心に近接しているため、都心の業務地や居住地の拡大傾向に伴って再開発が実現すると大きな富を生み出すのに対し、郊外立地型のスラムの場合は、そのような経済的インセンティブが働かないため、行政やNGOなどの手が延びないと放置される傾向がある。
インナーシティの発生

インナーシティ(都心近接低所得地域、都市内集落)は、世界各地の都市で見られる。都市の大小に依存してインナーシティの大小が決まるものではなく、その国や州などの政策、都市の歴史・産業構造・不景気などによって発生する。また、都心近接の低開発地域が、必ずしもインナーシティ化するわけではなく、都心近接高級住宅街がインナーシティ化する例もある。

先進国における大まかな発生機序は2つある。1つ目は、都市内の機能性地区が、様々な理由でその機能を失って低所得(失業)地区となり、治安悪化と共に孤立したインナーシティになる場合(地区の機能低下)で、都市内の工業地区や商店街が、時代の変化についていけずに取り残されることによって発生する。2つ目は、都市内において住環境が悪いために低家賃な地区(低湿地・上下水道未設置地区・前近代的住居密集地などの低開発地区)に、低所得な移民などの新住民が大量に住みつくことで地区の地縁性や住民の交流が崩れてしまい、治安が悪化してインナーシティになる場合(地縁性・コミュニティの崩壊)である。低所得地区であっても、機能性や地縁性が維持されるとインナーシティになりづらい。

なお、都市住民のほとんどが低所得である近世・近代都市では、庶民の所得格差があまりないとされる。
アメリカ・イギリス

アメリカ合衆国イギリスでは、工業との関連でインナーシティが発生する場合と、低所得な移民が集住してインナーシティ化する場合が見られる。
地区の機能低下

都心近接工業地、すなわち、都市が現在ほど大きくなっていない時代の都市郊外に設置された工場は、自家用車や公共交通機関が未発達であるため、多くは工場に近接して労働者の集合住宅が建設された。工場の景気が良かった時代には、その工場も都市の膨張過程の中で都市内部に包含されていき、都市内に工場が存在する形になった。しかし、時代の流れで構造不況に陥ったり競争力がなくなったりして廃業してしまうと、工場労働者が失業して、その集合住宅は失業者ばかりが住む低所得住宅に急変する。また、都心近接工場が、発展のためにさらに郊外や他都市に移転した場合、労働者全員を一緒に郊外や他都市につれて行かずに能力の高いものだけを連れて行ってしまうと、その集合住宅は、再就職の困難な者ばかりが住む低所得住宅に急変する。

このような経緯で低所得者の集合住宅が発生すると、犯罪が多発し始め、それが周囲にまで波及し、地域一帯がインナーシティとなることがある(例: フィラデルフィアやイギリスのインナーシティ)。この場合、工場労働者が移民・移住者で占められることが多いため、その工場がどの移民・移住者を受け入れたかによって、低所得化住宅の住民の人種構成は異なる。アメリカの場合は、時代的に、南欧・東欧からの白人移民や南部からの移住黒人の場合が多い。インナーシティ化で、住民がさらに低所得な住民に入れ替わる場合もある。
地縁性・コミュニティの崩壊

アメリカの場合、移民を大量に受け入れてきた歴史があるが、華僑日本人韓国人イタリア人ユダヤ人などは、農園の労働者として移民する一方、都市部の低家賃地域で集住する場合もあった。彼らは都市部では、第三次産業に従事したり、互助的な組織で就職斡旋をすることで、その地域が荒廃を免れている例が多い。

一方、民族的互助組織がない南部からの黒人移住者やその他の移民たちの場合、その時代時代の低家賃地域に集住するが、就職口が見つからずに犯罪に走る場合もあり、低家賃地域がそのままインナーシティ化する例がみられる。このような地域は、アメリカでは「ゲットー」(黒人ヒスパニックなどの多いスラム)と呼ばれ、教育や福祉を受けられずに、そのまま低所得階層として固定化してしまうことが多い。

低家賃地域は、治安が悪いから家賃が安くなっているとは限らず、ニューヨークのハーレム地区のように、もとは高級住宅地として建設されたが、供給過剰と地下鉄延伸の遅れのために不動産価格が下落して低家賃地域となり、ヨーロッパ系移民が住むようになり、その後黒人が住むようになって、最終的に荒廃してしまった例もある。
ヨーロッパフィンランドタンペレのインナーシティ 2012年

ヨーロッパ大陸の場合、集落が大きくなって統治者が現れると、街を取り囲む城郭を建設して城郭都市となる例が多いが、その場合、その城郭の内部(インナーシティ)との交易や商売のために、城郭外に移住者が集まって低所得地域を形成したり、ユダヤ人などを城郭外に住まわせたりした。城壁の外(アウターシティ)が大きくなると、さらに外側に城壁が造られ、低所得なアウターシティが内部に包含されることになる。

パリでは、このような都市拡大が何度も繰り返され、城郭内にいくつもの低所得地域が含まれることになった。そのため、パリにおけるインナーシティ(低所得地域)は、市内に内包されてしまったその時代時代の城門の周囲に形成され、現在まで続いているところもある。ただし、それらインナーシティの内、現在治安が悪化しているのはサンドニ門周辺など一部であり、それよりも、風俗営業店が多い地区やターミナル駅周辺の方が治安悪化が激しい。また、最近では、フランスの旧植民地からの移民が多く住む「郊外(バンリュー)」の集合住宅の治安悪化が見られ、アメリカ・イギリスとは異なった都市構造となっている。
オーストラリア

オーストラリアの2大都市であるシドニーメルボルンは1850年代から1860年代にかけてゴールドラッシュがあり移民が大量に流入したため、低価格の集合住宅「テラスハウス」が大量に供給された。現在、これが両都市のインナーシティを構成している。これらの住宅は築150年を超え老朽化しているため、貧困層が集積している地区も一部あるが、歴史的価値や交通の便の良さが見直されて、高級住宅に改装されて高額で売りに出されることも珍しくなく、住環境は良好である。一般的に、オーストラリアのインナーシティはアメリカのような社会問題にはなっていない。
中国

中国の場合、王朝の首都が城郭都市として建設されたが、元々広大なものであったため、低所得層も城郭内に住んでいた。現在にも残るそのような地区は、日本の下町のようになっており、犯罪の多いインナーシティのようにはなっていない。
日本

高度経済成長期に、三大都市圏を中心に金の卵として農村部から大量に集団就職があったが、終身雇用制、および、産業構造変化で人員整理が必要になった際の再就職斡旋のおかげで、これらの層がインナーシティ形成の元にはなっていない。


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