インド宇宙研究機関
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インド宇宙研究機関
Indian Space Research Organisation
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ISROのロゴマーク
組織の概要
設立年月日1969年8月15日
継承前組織.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}

インド国立宇宙研究委員会 (INCOSPAR)

管轄インド政府
本部所在地バンガロール
人員約2万人
年間予算約660億インド・ルピー(約1100億円)
行政官

K. Radhakrishnan(議長)

ウェブサイトwww.isro.gov.in

インド宇宙研究機関(インドうちゅうけんきゅうきかん、ヒンディー語: ?????? ????????? ????????? ??????, 英語: Indian Space Research Organisation, ISRO)は、インド宇宙開発を担当する国家機関。バンガロールを本拠地とし、日本円にして約1000億円の予算規模と約2万人の職員を抱える。宇宙関連技術の開発とその応用を目的とする。国内のみならず国外のペイロードの打ち上げサービスも行っている。
インドの宇宙開発史

インドのロケットの歴史は、イギリス人のウィリアム・コングリーヴはインド人がマイソール戦争で鉄製ロケットを用いていることを真似て、1804年コングリーヴ・ロケットを発明した。1947年にイギリスから独立した後、インドの科学者や政治家は、同国ほど人口の多い国には独自の宇宙技術が必要になることを認識し、またリモートセンシングや通信分野での人工衛星の必要性を考慮して、宇宙機関を設立した。
1960年代

インドの宇宙開発はヴィクラム・サラバイによって開かれたとされており、インド国内では英雄のように扱われている。彼は1957年スプートニク打ち上げを受けて人工衛星の持つ可能性を認識した。科学技術の発展を重視していた初代首相ジャワハルラール・ネルー1961年、宇宙研究開発を原子力省の担当と定めた。同省長官のホーミ・J・バーバー1962年にインド国立宇宙研究委員会 (INCOSPAR) を設立し、サラバイを長官に任命した。

現在ロケット技術を持つ国のほとんどは弾道ミサイル技術から発展してロケット技術を持つに至ったが、インドにおいては日本欧州などと同じように、当初から人工衛星を打ち上げる能力を持つことを目的として研究が進められた。トゥンバ赤道ロケット打ち上げ基地/ツンバ射場 (TERLS) がケーララ州ティルヴァナンタプラムの近くに設置され、そこから多くの観測ロケットを打ち上げた。

1969年、INCOSPARはインド宇宙研究機関 (ISRO) に改組され、1972年6月にインド宇宙省が設立されるとISROはそこに所属する組織となった。
1970年代

サラバイは1960年代にNASAの通信・放送衛星に関する研究に参加しており、その経済的な有用性を認識していた。そこでサラバイとISROは放送衛星とその打上機 (Satellite Launch Vehicle, SLV) の開発に必要な技術とインフラの整備を当面の目標とした。SLVはアメリカの観測ロケットを参考とし、全段固体の4段式ロケットを想定していた。

同時期、インドは衛星技術の開発も開始した。1975年、インド初の衛星アーリヤバタがソ連のロケットによって打ち上げられた。第二の射場として、アーンドラ・プラデーシュ州シュリーハリコータサティシュ・ダワン宇宙センター (SDSC) が建設され、1979年ここからSLVの初飛行が行われた(この初飛行は第2段のトラブルにより失敗した)。1980年の打ち上げは成功し、国産衛星ロヒニ1号が軌道に乗った。
1980年代

SLVの成功に続いて、ISROは極軌道に衛星を投入可能なロケット (Polar Satellite Launch Vehicle, PSLV) の開発を開始した。このロケットはインドの基幹ロケットとして位置づけられ、従来からの信頼性の高い固体ロケットに新開発の液体燃料エンジンを組み合わせることとなった。また、同時期にISROはSLVをベースとしたより小型のロケットを開発することも決定した。この小型ロケット (Augmented Satellite Launch Vehicle, ASLV) は、補助ブースターと新誘導システムのテストベッドとしての役割も期待された。

PSLV用の新型液体ロケット開発に当たって、ISROは資金と時間を節約するため、フランスからヴァイキングエンジンの技術移転を受けた。インド版のこのエンジンはヴィカスと名づけられた。

ASLVのテスト飛行は1987年の初打ち上げ、1988年の再打ち上げのどちらも失敗したが、このことでISROは貴重な経験を得た。また、ASLVの開発を通じて補助ブースター実用化のメドも立った。

1984年、ソ連との共同事業で初のインド人飛行士が宇宙へ行った[1]
1990年代

ASLVの打ち上げは1992年にようやく成功した。PSLVは1993年の初打ち上げに失敗したものの、1994年に資源探査衛星と通信衛星の打ち上げに成功し、現在にいたるまでのインド基幹ロケットとしての地位を確立した。この成功を見て、次期基幹ロケット (Geostationary Satellite Launch Vehicle, GSLV) の開発が決定された。これはさらに大型の衛星を静止トランスファ軌道 (GTO) に投入することを目標としており、PSLVの設計を部分的に流用しつつ、より大型の液体燃料ブースター使用と上段の極低温エンジンへの換装が行われることとされた。ISROはロシア宇宙省からブースター技術を導入しようとしたが、この計画は政治的理由により途中で頓挫した。そのため、ISROはいったんキャンセルしていた国産極低温エンジン開発計画を開始することに決定した。
2000年代

2008年、初の月面探査機チャンドラヤーン1号を打ち上げ、月の周回軌道上での探査活動に成功した[2]
2010年代

2012年9月9日、サティシュ・ダワン宇宙センターから通算100回目のロケットPSLV-C21の商業打ち上げに成功した。

2013年11月5日にインド初、アジア初の火星探査機マーズ・オービター・ミッション(通称マンガルヤーン)を搭載したPSLV-XLロケットが打上げられ、2014年9月24日に火星周回軌道への投入に、アジアの国で初めて成功した。

2017年、打ち上げたロケットから104個の衛星を順次、放出し、軌道に乗せることに成功した[2]

2019年、ミサイルによる衛星の撃ち落としに成功した。また、月面探査機チャンドラヤーン2号を打ち上げた[2]
2020年代

2023年、月探査機チャンドラヤーン3号で、インドとして初の月面軟着陸に成功した(世界で4か国目)[3]
ロケットインドのロケットの比較 左から右へ: SLV, ASLV, PSLV, GSLV, LVM3

地政学上と経済性を考慮して1960年代から1970年代にかけてインドは独自の打ち上げロケットの開発計画を開始せざるを得なかった。[4]第一段階 (1960年代から1970年代) において観測ロケットの計画を成功させ1980年代SLV-3やより先進的なASLVや支援設備を整備した。[4] ISROはさらに先進的なロケット技術の開発にエネルギーを注いだ結果PSLVとGSLVの技術を生み出した。[4]
衛星打ち上げ機 (SLV)詳細は「SLV」を参照状態: 退役

通常はSLVまたはSLV-3として知られる衛星打ち上げ機は4段式の軽量固体燃料ロケットである。高度500kmへ40kgのペイロードを投入できる。[5]1979年以降の各年に2機以上が打ち上げられ1983年に終了した。4回の試験飛行で2回だけ成功した。[6]
向上型衛星打ち上げ機 (ASLV)詳細は「ASLV」を参照状態: 退役

ASLVとして知られる向上型衛星打ち上げ機は5段式の固体燃料ロケットで低軌道へ150kgのペイロードを投入できる。


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