インド国民会議
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インド政党インド国民会議
Indian National Congress

総裁マリカルジュン・カルゲ
成立年月日1885年
本部所在地 インドニューデリー
下院議席数52 / 545(2020年1月13日[1]
上院議席数39 / 245(2020年3月30日[2]
政治的思想・立場保守中道[3][4][5] - 中道左派[6][7]
インドのナショナリズム
リベラル[8][9]
社会民主主義
民主社会主義
世俗主義
市民ナショナリズム(英語版)
包括政党
国際組織進歩同盟
社会主義インターナショナル
公式サイトAll India Congress Committee
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インド国民会議(インドこくみんかいぎ、英語:Indian National Congress、略称:INC、ヒンディー語:?????? ????????? ????????)は、インド政党日本語では慣例的に国民会議派とも称される。世界ではインド人民党中国共産党に次いで規模が大きい政党である。中道左派社会民主主義を掲げる場合もあるが、同時に保守およびポピュリズムの傾向やインドの財界財閥との関係も強い。さらに経済政策新自由主義の傾向があるとされる場合もあり[10]包括政党の様相を呈している。
歴史
発足当初創設者のひとり、ダーダーバーイー・ナオロージー(1892年)

1885年英領インドのボンベイ(現・ムンバイ)で、72人の代表を集めて第1回の会議が開催された。この会議は、インドにおける人種差別的行政に憤ったイギリス人官僚アラン・オクタヴィアン・ヒューム(教育行政に尽力した官僚だが、インドでは鳥類の研究者としての方が有名)がインド人初のイギリス下院議員となったダーダーバーイー・ナオロージーらとともに、インド知識人層の不満を吸収しつつ、インド人の政治参加を漸次拡大するための体制補完的、穏健的な団体として設立したもので、当初は、年末の4日間だけ活動する程度のものであった。これは、当時のインド総督の承認のもと開催され、「急増する反英勢力への安全弁」としての役割を期待されていた。バール・ガンガーダル・ティラク(1910年頃)

しかし、19世紀末よりバール・ガンガーダル・ティラクオーロビンド・ゴーシュなどの急進派が台頭し、公然とスワラージ(自治・独立)を掲げる姿勢を見せた。先んじて1883年に全インド国民協議会を結成し、人種差別に反対していたS・バネルジーも全インド的な民族運動団体の設立を目指し合流し、穏健派を形成(後に脱退)した。

設立当初のメンバーは、教育を受けた中間層エリート、産業界の代表らから成り、大衆にまで広く浸透していた団体とはいえなかったが、一貫して「民族的団結の強調」「英国による対印抑圧政治の批判」「民衆の貧困」を強調したことは、民族運動初期のインド大衆世論の形成に大きな役割を果たした。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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