インド・ヨーロッパ語族
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インド・ヨーロッパ語族
原郷
ポントス・カスピ海ステップクルガン仮説
話される地域ヨーロッパ、南アジア、北アジア、南北アメリカ、サブサハラアフリカ、オセアニア
祖語インド・ヨーロッパ祖語
ISO 639-2 / 5ine
現代のユーラシアにおける分布.mw-parser-output .legend{page-break-inside:avoid;break-inside:avoid-column}.mw-parser-output .legend-color{display:inline-block;min-width:1.5em;height:1.5em;margin:1px 0;text-align:center;border:1px solid black;background-color:transparent;color:black}.mw-parser-output .legend-text{}  アルバニア語  アルメニア語  バルト・スラヴ語派 (バルト語派)  バルト・スラヴ語派 (スラヴ語派)  ケルト語派  ゲルマン語派  ヘレニック語派 (ギリシア語)  インド・イラン語派 (インド語群イラン語群ヌーリスターン語群)  イタリック語派 (ロマンス諸語)  非印欧語族

インド・ヨーロッパ語族(インド・ヨーロッパごぞく)は、インドからヨーロッパにかけた地域に由来する語族である[1][2][3]

英語スペイン語ロシア語などヨーロッパに由来する多くの言語[注 1]と、ペルシア語ヒンディー語などの西アジアから中央アジア、南アジアに由来する言語を含む。一部のヨーロッパの言語が世界的に拡散することで、現代においては世界的に用いられている。

印欧語族(いんおうごぞく)と略称される。
特徴

語彙や文法にまたがった幅広い共通性が18世紀末以降の研究によって見出され、19世紀前半に語族を構成する言語が死語を除いて確定された。すべての印欧語は共通の祖先にあたる言語を持っていると考えられ、インド・ヨーロッパ祖語ないし印欧祖語と呼ぶ。文字が記録されていない時代の言語であるものの、研究が積み重ねられることで実像が提示されつつあり、ポントス・カスピ海ステップに出自を持つヤムナヤ文化の担い手が紀元前4000年ごろには話していた屈折語であったとするクルガン仮説とその修正版が中心的な説になっている。

分類方法や呼称には差異があるが、現代に用いられている言語はアルバニア語アルメニア語イタリック語派インド・イラン語派ケルト語派ゲルマン語派バルト・スラヴ語派ヘレニック語派の8つの語派にさらに分類される。20世紀初頭の研究によって、紀元前にアナトリア半島で用いられた言語と、8世紀頃までタリム盆地北縁地域で用いられていた言語がそれぞれ印欧語に含まれることが示され、それぞれアナトリア語派トカラ語派と名付けられた。

文献が登場する以前の先史時代にはインドからヨーロッパにかけた地域に大きく拡散していた。植民地時代以降に英語スペイン語ポルトガル語フランス語などのヨーロッパの言語が全世界的に広められ、アメリカ大陸オーストラリア大陸での支配的な言語となったほか、アフリカやアジアの複数の地域でも大きな位置を占めた。印欧語族は現代において母語話者が最も多い語族であり、2010年代以降の統計によれば約30億人が第一言語として用いている[5]。2000年以降の調査で、母語話者の多い言語には2億人以上のものに英語ヒンディー語スペイン語ポルトガル語、1億人以上のものにロシア語ベンガル語がある[6]
研究史
語族概念の発見と研究の発展

言語間に系統的な関係があるという考えやそれに基づいた比較研究は印欧語族が、他の語族に先んじたものであり、印欧語族の研究史と比較言語学の研究史はその始まりにおいて重なっている[7][8]。そのため印欧語族の研究で見出された概念は他の語族、あるいは広く言語学の研究に応用されることになった。
ジョーンズと揺籃期の研究者たち「ウィリアム・ジョーンズ (言語学者)」も参照ジョーンズの肖像

ヨーロッパとインドで使われる言語の関係を指摘する者は以前にもいたものの、研究が進む契機となったのは18世紀末にイギリス人のウィリアム・ジョーンズによってなされた指摘であった。ジョーンズは植民地インドの判事として現地法を研究しており、1784年にベンガル・アジア協会を組織した。サンスクリットを学び始めたジョーンズは、その語根や文法の構造が、ヨーロッパの諸語、とりわけラテン語ギリシア語に類似していることに気付き、共通の祖先にあたる言語が想定されるという考えを発表した[9][10]。この指摘に研究が触発されたことから歴史的な重要性が認められるが、発表の本筋とは離れた小さな扱いであった。また、旧約聖書が描くような単一の人類の原祖を想定したジョーンズの関心は民族史や文化史にあり、それぞれの言語に深い関心を持ちつつも印欧語を俯瞰した研究を深めようとはしなかった[9][11]

ジョーンズの示唆を実証する研究はイギリスでは進まず[注 2]大陸に移ることとなった。この先駆的時代の研究にフリードリヒ・シュレーゲルフランツ・ボップラスムス・ラスク、フリードリヒの兄のアウグスト・ヴィルヘルム・シュレーゲルW.v.フンボルトヤーコプ・グリムらによるものがある。フリードリヒ・シュレーゲルは1808年の著作『インド人の言語と英知(ドイツ語版)』でサンスクリットとヨーロッパの言語の比較を試みた[13]。ボップとラスクの著作は、比較言語学の第一作を争うものとして知られている。アウグスト・ヴィルヘルム・シュレーゲルとフンボルトは、フリードリヒ・シュレーゲルの分類を発展させて屈折語孤立語膠着語抱合語という言語の四類型を立てた。グリムはラスクの論を受け継いでゲルマン祖語に起きた音韻法則であるグリムの法則を見出した[14]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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