インド・パキスタン関係
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インド・パキスタン関係



パキスタン
インド
在外公館
パキスタン高等在外公館 (ニューデリー)(英語版)インド高等在外公館 (パキスタン)

インドとパキスタンの関係は、多数の歴史的・政治的事件により、複雑で全体として敵対的な関係である。両国の関係をまず決めたのは1947年の強引なインド・パキスタン分離独立であり、それによってカシミール紛争が始まったほか、両国間では印パ戦争など何度もの紛争が起き、その結果両国の関係は敵意と疑念に包まれている。北インドとパキスタンは、人口構成共通言語(主にパンジャーブ語ヒンドゥスターニー語)において多少重なる部分がある。
概要

1947年にイギリス領インド帝国が解消すると、二つの新しい主権国家(インド連邦パキスタン)が建国された。旧イギリス領インド帝国のその後の分裂によって、最大1250万人が故郷を離れざるを得なくなり、推定数十万から100万人まで死者を出した[1]。人口で多数派を占めるムスリム(英語版)と大きな少数派のヒンズー教徒(英語版)のいるパキスタンが後にイスラム共和国になった(ただし憲法はいかなる宗教にも信教の自由を保証している)一方で[2]インドは人口で多数派を占めるヒンズー教徒(英語版)と大きな少数派のムスリムのいる世俗国家(英語版)としてまとまった[3]。パキスタンは後に、移民の流出と、バングラデシュ独立戦争による東パキスタン分離によって、少数派ヒンズー教徒のほとんどを失った。

独立して間もなくインドとパキスタンは公式の外交関係を樹立したが、乱暴な分離と数多くの領土問題は、両国の関係に暗い影を投げかけることになる。独立以降の両国は3つの大きな戦争や一つの宣戦布告なき戦争(英語版)をしてきたし、無数の小競り合いや軍事的対立を経験している。これら紛争の中心となったのはカシミール紛争であるが、例外として第三次印パ戦争や、東パキスタン(今のバングラデシュ)の分離につながったバングラデシュ独立戦争もあった。

関係改善の試みは数多く行われている(有名なところではシムラー協定やアグラサミット(英語版)、ラホール宣言(英語版)がある)。1980年代前半以降両国関係はシアチェン紛争(英語版)や1989年のカシミール暴動(英語版)の激化、1998年のインドパキスタンの核実験、1999年のカルギル戦争(英語版)によって特に険悪になった。一部の信頼構築手段(英語版)は(2003年の停戦合意やデリー・ラホール間バス(英語版)のように)事態の沈静化に成功した。しかしこういった努力は断続的なテロ攻撃によって妨害されている。2001年のインド議会攻撃(英語版)では両国はほとんど核戦争の瀬戸際(英語版)まで行った。また民間人68人(ほとんどはパキスタン人)が死亡した2007年のサムジャウタ急行爆破(英語版)も両国関係における大きな転回点であった。パキスタンの武装勢力によるムンバイ同時多発テロは当時進行中のインド・パキスタン和平会談に対して深刻な打撃(英語版)となった[4]

両国の新政権選挙が済んでからの僅かな雪解け期間が終わると、両国の対話はまたも2016年のプサコット襲撃事件(英語版)によって行き詰まった[5]。2016年9月、インドが管轄するカシミールでのインド軍基地に対するテロ攻撃(英語版)ではインド陸軍兵士19名が死亡し、これは近年において最悪の被害者数である。インド側は、襲撃はパキスタンが支援するジハーディスト(英語版)集団が起こしたものと主張したが、パキスタン側はこれを否定し、襲撃はインド治安部隊による過度の力の行使が原因となった地域の騒乱(英語版)に対する現地の反応だったとしている。この襲撃は管理ライン (Line of Control) をはさんでの軍事衝突(英語版)を引き起こし、停戦協定違反とさらなるインド治安部隊に対する武装勢力の襲撃(英語版)が増大した。2016年以来、絶え間ない衝突、継続的なテロ攻撃、両国での民族主義的発言の増大によって両国関係は崩壊し、関係修復の可能性がほとんど見えていない[6][7]。特に2019年プルワマ襲撃事件の後でインド政府は1996年にパキスタンに保証したパキスタンの最恵国待遇を廃止した[8]。インドも主にパキスタン製のアパレル製品とセメントの貿易に対する関税率を200%に引き上げた[要出典]。

2010年代前半のインドとパキスタン両国の新政権の選挙以降、関係改善の試みもいくつかあった。特に互いに貿易を自由化する互恵原則に基づく無差別市場参加(NDMARB)の合意に向けてのコンセンサスの発展がそうである[9] 。インドとパキスタン両国は、南アジア地域協力連合と南アジア自由貿易地域(英語版)に加盟している。パキスタンは大人数を集める毎年のインド国際見本市にずっとパビリオンを出展してきた[10]。しかし両国関係の悪化によって、パキスタンの貿易会社は出展を拒否されるようになった。

2015年11月、新しいインドの首相ナレンドラ・モディとパキスタンの首相ナワーズ・シャリーフは、両国の交渉再開に合意し、翌月モディ首相は、インドへの帰途にパキスタンを短期間予定外で訪問し、2004年以来パキスタンを訪れた最初のインド首相となった[11]。こういった努力にもかかわらず、両国関係は国境を越えて繰り返されるテロリズム活動のせいで依然として冷たいものになっている。2017年のBBCワールドサービスの世論調査によると、インド人のうちパキスタンの影響を肯定的に見ているのは5%のみで85%は否定的であり、一方でパキスタン人のうちインドの影響を肯定的に見ているのは11%、否定的に見ているのは62%であった[12]

2019年8月、ジャンムー・カシミール連邦直轄領の特別な地位を廃止する(英語版)インドの国会でのジャンムー・カシミール連邦直轄領再編成法(英語版)改正を受けて[13][14] 両国間にさらに緊張が高まった。パキスタンは外交関係を格下げし、領空を封鎖し、インドとの二国間貿易を中断した[15]
両国の比較

正式国名インド共和国パキスタン・イスラム共和国
国旗

国章
人口13億7771万5047人(2020年推計値)[16] ? 2nd2億3350万636人(2020年推計値)[17] ? 5th
面積328万7263km2(126万9219mi2)[18] ? 第7位88万1913km2(34万509mi2)[19] ? 第33位
人口密度406人/km2(1052人/mi2)[20]287人/km2(742人/mi2)[21]
首都ニューデリーイスラマバード
最大都市ムンバイ(2074万8395人)[22]カラチ(1609万3786人)[23]
政治形態連邦議会制共和国(英語版)連邦議会制共和国
最初の指導者ジャワハルラール・ネルームハンマド・アリー・ジンナー


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