インドの華人
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コルカタチャイナタウンの人々コルカタのチャイナタウンの祭りコルカタのチャイナタウンにある会館[1]

インドの華人(インドのかじん)では、インド華僑華人(中国系インド人)について述べる。
概況

インドの人口約13億人のうち、約2万人が漢族華人である[2]。とくに広東を祖籍とする客家人が最大多数を占める[3]。また北部を中心に、10万人以上のチベット族が住んでいる[2]

コルカタはインドで唯一チャイナタウンを有する都市であり[2][3][4]、市街地の「ティレッタ・バザール地区(英語版)」と郊外の「タングラ地区(英語版)」の2つがある[5]

チャイナタウンの華人は商工業者が多い[2][6]。とくに、インドで希少な入歯師や、ヒンドゥー教徒との競合が少ない皮革業者や革靴製靴業者が多かったが[2][6][4]1990年代以降、コルカタ市の環境規制により皮革業の規制が強まると、多くが中華料理店に転業した[2][3]

インドの華人にまつわる文化に、「インド中華」(インド料理化した中華料理)がある[7]
歴史「中印関係」および「インド中華」も参照

インドの華人コミュニティの歴史は、1770年代英国東インド会社により国際都市となったコルカタに、広東から移住した商人に始まる[2][4]。以降コルカタやムンバイに、商工業者が経済的機会を求めて移住した[2]20世紀に入ると、中国内の政情不安や、第二次大戦中の日本軍東南アジア侵攻によるミャンマー華人(英語版)の難民化などにより、華人が増加した[2][8]1949年中華人民共和国が成立すると、共産化からの難民も加わり、華人人口は約3万人に達した[9]

しかし1950年代後半から、チベット動乱や国境問題により中印関係が悪化し、1962年中印国境紛争が勃発すると、華人は国外追放や移動制限、解雇を強制され、2千人以上が西部ラジャスタン州の収容キャンプに拘留された[8](在印華人の強制収容(英語版))。以降、華人の多くがインドを離れ、中国に帰住したり他国に再移住(英語版)したりした[2][8]。とくにカナダの華人(英語版)の客家約2万人の多くがインド出身と言われる[2]

20世紀末から21世紀には、中印関係は相変わらず悪いものの、1988年ラジーヴ・ガンディー訪中をはじめ関係回復の兆候がある[2]。そのような背景のもと、チャイナタウンの観光地化などが進んでいるが[2]、コミュニティの縮小傾向は続いている[2][4]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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