インドの競馬(インドのけいば)では、インドにおける競馬について記述する。 インドにおける競馬は200年以上の歴史を有する。最初の競馬場は、1777年にマドラス(現在のタミル・ナードゥ州チェンナイ)に開設された[2]。現在までにインドでは競馬および馬産が発展し、6つのターフクラブが運営する9か所の競馬場で競走が開催されている。 以下の6つのターフクラブがターフ・オーソリティーズ・オブ・インディアを構成する[1][3]。 年間の競走開催数は6つのターフクラブ合計で2500前後[4]。 ターフクラブをまたぐ大競走としてはイギリスのクラシック競走に範を取った5つのクラシック競走が行われる。インド2000ギニー
歴史
1769年、カルカッタ(現在のコルカタ)の近郊でイギリス人が初めて競馬を開催する[1]
1777年、マドラス(現在のチェンナイ)に最初の競馬場(現チェンナイ競馬場)開設[2]。
1800年、最初の競馬統括機関であるボンベイ・ターフクラブ(現在のロイヤル・ウェスタン・インディア・ターフクラブ)設立[1]。
1820年、カルカッタ競馬場開設[1]。
1847年、ロイヤル・カルカッタ・ターフクラブ設立[1]。
特徴
競馬統括機関
ロイヤル・ウェスタン・インディア・ターフクラブ(マハーラーシュトラ州ムンバイ・プネー)
ロイヤル・カルカッタ・ターフクラブ(西ベンガル州コルカタ)
マドラス・レースクラブ(タミル・ナードゥ州チェンナイ・ウーティ)
バンガロール・ターフクラブ(カルナータカ州ベンガルール)
ハイデラバード・レースクラブ(テランガーナ州ハイデラバード)
マイソール・レースクラブ(カルナータカ州マイスール)
競走マイソール競馬場
また、3月第一週の週末に、6つのターフクラブが持ち回りで主催するインド・ターフ招待ウィークエンド(Indian Turf Invitation Weekend)が開催される[1]。
馬券マイソール競馬場のスタンド
インドでは、インド国外に拠点を置き、客にインド・ルピーでの入出金を認めている「オフショアサイト」と呼ばれるウェブサイトを除き、賭博は厳重に禁止されているとされる。そうでありながら、競馬と宝くじは対面販売とオンラインのいずれでも合法である[5]。すなわち、インド最高裁判所は、KRラクシュマナン博士対タミル・ナードゥ州事件(AIR 1996 SC 1153)において、競馬は運(luck)のみに基づいているのではなく、技術(skill)にも基づいていると判示した。賭博の全面禁止規定に対するこの例外の判例に基づいて、いくつかの州では認可されたブックメーカーを特別に営業許可する法律を制定している[6]。 2010年代のサラブレッド生産頭数は1200頭程度[4]。生産牧場はパンジャーブ州からグジャラート州までのインド北西部とカルナータカ州、タミル・ナードゥ州など南部に分布している[7]。 日本の馬産とのかかわりでは1968年に顕彰馬ハクチカラが日本軽種馬協会によってインドに種牡馬として寄贈されたことが有名[8][9]。2010年にはサンデーサイレンスのラストクロップ(最後の世代)であるウインレジェンドが重賞未勝利ながらインドに種牡馬として輸入され[10]、「インドのフランケル」の異名を持つサーセシルをはじめ10頭以上のクラシック競走勝ち馬を輩出した[11]。その後、2018年にフィエロ(マイルCS2着)[12]、2022年にサトノインプレッサ(毎日杯1着)[13]とディープインパクト産駒の種牡馬が相次いで輸入された。 なお、2020年代には日本の馬産地である北海道浦河町で、より待遇のよい職場を求めて来日するインド人の牧場従業員が増加している[14][15]。
馬産
著名な競走馬
ダークレジェンド(Dark Legend 1914年生) - イギリス産馬。1917年の英ダービーで3着に入った後インドに滞在してヴァイスロイズカップ(インド総督杯)などに勝利した[16]。
ローズロイヤル(Rose Royal 1961年生) - 1964/1965年シーズンの1000ギニー、オークス、ダービーに勝利し牝馬クラシック三冠を達成した[17]。
スクワンダラー(Squanderer 1973 年生) - 1976/1977年シーズンの三冠馬で、生涯成績19戦18勝。同じくラシッド・バイラムジー調教師が管理したイリューシヴピンパーネルと並んで「インド史上最強馬」と呼ばれる[18]。
オウンオピニオン(Own Opinion 1975年生) - 1979年のインドターフ招待カップなど多くの大レースに勝利した名馬。1981年の第1回ジャパンカップに招待され、インド史上唯一の日本遠征馬となった[19]。日本では「インドのシンザン」の通称で有名[20]。
イリューシヴピンパーネル(Elusive Pimpernel 1991年生) - 1994/1995年シーズンの2000ギニーとダービーを無敗で制し、脚部不安でセントレジャーを回避し三冠達成はならなかったものの23戦22勝の成績を残した「インド史上最強馬」[18]。