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ポータル 歴史学/東洋史
モエンジョ・ダーロ遺跡
インドの歴史(インドのれきし、History of India)では、インダス文明以来のインドの歴史について略述する。目次
1 インダス文明・ガンジス文明
1.1 インダス文明
1.2 前期ヴェーダ時代
1.3 後期ヴェーダ時代とガンジス文明
1.3.1 十六大国
1.3.2 ウパニシャッド哲学と新宗教
1.4 ペルシャとギリシャの征服
2 古代インドの諸王朝
2.1 マウリヤ朝マガダ国のインド統一
2.2 クシャーナ朝
2.3 サータヴァーハナ朝と古代交易網
2.4 大乗仏教のおこり
2.5 二大叙事詩と『マヌ法典』
3 インド古典文化の完成
3.1 グプタ朝の成立とヒンドゥー教の確立
3.2 ヴァルダナ朝とラージプート時代の到来
3.3 南インドの諸王朝
4 北インドのイスラーム化と南インド
4.1 ガズナ朝・ゴール朝の侵入
4.2 デリー・スルターン朝
4.3 南インドのヒンドゥー諸王国
4.4 ヴィジャヤナガル王国
4.5 デカンの諸王国
4.6 バクティ信仰とシク教の創始
4.7 ポルトガルとスペイン
5 ムガル帝国
5.1 ムガル帝国の成立と隆盛
5.2 ムガル帝国の衰退
5.3 英蘭の南インド進出
5.4 英仏の進出と植民地抗争
5.5 イギリスによる蚕食とインドの貧困化
6 イギリス植民地時代
6.1 インド大反乱と英領インド帝国の成立
6.2 インド国民会議派の成立
6.3 国民会議派の急進化と全インド・ムスリム連盟
6.4 2度の世界大戦とインド
6.4.1 ローラット法とアムリットサル事件
6.4.2 ガンディーの登場
6.4.3 プールナ・スワラージと塩の行進
6.4.4 チャンドラ・ボースとインド国民軍
7 第二次世界大戦後
7.1 分離独立と戦後インド憲法の制定
7.2 非同盟主義
7.3 印パ戦争と中印国境紛争
7.4 核大国化
7.5 国内政局の変換
7.6 BRICsの一角
8 インドにおけるヨーガの歴史
8.1 インダス文明
8.2 前期ヴェーダ時代
8.3 ウパニシャッドの時代
8.4 古典ヨーガ
8.5 後期ヨーガ
8.6 近現代のヨーガ
9 インドの歴史の史料
10 脚注
10.1 補注
10.2 出典
11 参考文献
12 関連項目
インダス文明・ガンジス文明
インダス文明 インダス文明詳細は「インダス文明」を参照
紀元前2600年頃より、インダス川流域にインダス文明が栄えた。民族系統は諸説あり、Iravatham Mahadevan
が紀元前3500年頃に西アジアから移住してきたとのドラヴィダ人仮説(Dravidian hypothesis、南インドのドラヴィダ系の民族)を提唱したが、ワシントン大学のRajesh P. N. Raoはドラヴィダ人仮説への有力な反例を示し、フィンランドの研究者アスコ・パルボラ(英語版)が支持し、研究は振り出しに戻っている[1]。パンジャーブ地方のハラッパー、シンド地方のモエンジョ・ダーロなどの遺跡が知られるほか、沿岸部のロータルでは造船が行われていた痕跡がみられ、メソポタミアと交流していた可能性がある。
焼き煉瓦を用いて街路や用水路、浴場などを建造し、一定の都市計画にもとづいて建設されていることを特徴としていたが、紀元前2000年頃から衰退へとむかった。この頃になると各地域ごとに文化発展がみられ、アハール・バナス文化(英語版) (Ahar-Banas culture)、マールワー文化(英語版) (Malava Kingdom, Malwa culture)、ジョールウェー文化(英語版) (Jorwe culture) などがその例として挙げられる。
これらの文化が滅亡した要因として環境問題(紀元前1628年から紀元前1626年までの気候変動の原因となったギリシャ・サントリーニ島のミノア噴火)などが指摘されているが、インダス文字が未解読なこともあり、詳細ははっきりとしていない。
(インドの歴史におけるヨーガについては後述)
前期ヴェーダ時代 カイバル峠詳細は「ヴェーダ」を参照
インド・アーリア人は、紀元前1500年前後に現在のアフガニスタン・バクトリアから北西インド(現在のパキスタン)に移住したと考えられているが[2]、インドの伝承では移動に関して何も記していない。