本項目では、インドのナショナリズムについて述べる。インドにおけるナショナリズムは、インド独立運動(英語版)を通じて形成され、インド社会における民族、宗教的対立と同様にインドの政治(英語版)に強い影響を与え続けている。インドのナショナリズムはしばしば1947年のイギリスからの独立以前に認められた、インド文化圏がインド亜大陸ひいてはアジアに与えた影響と結びつけて語られる。
目次
1 インドの国家意識
1.1 汎南アジア主義
1.2 他国の侵攻
2 スワラージ
2.1 ガンディーらによる独立運動
3 インド人の枠組を超えて
3.1 ヒンドゥー・ナショナリズム
3.2 インド建国
4 ナショナリズムと政治
5 ナショナリズムと武力衝突
6 関連項目
7 脚注
インドの国家意識詳細は「インドの歴史」を参照 マウリヤ朝のアショーカ王時代における最大版図
インドでは歴史上、多くの帝国や政府によって統一国家が生まれてきた。古代の文書においてはバーラタ王(英語版)のアカンダ・バーラタがインドの領域を規定しており、これらの地域が現在のインド文化圏を形成している。マウリヤ朝はインド全域と南アジア、ペルシャの大部分を版図に加えた最初の統一国家となった。以後、インドの各時代の国家はグプタ朝、ラーシュトラクータ朝、パーラ朝、ムガル帝国、イギリス領インド帝国などが中央政府を持つ統一国家として君臨してきた。 インドの国家概念は単に主権の及ぶ領域の拡大を基礎とはしていない。ナショナリズムの基礎となっているのは、古代インドにおけるインダス文明とヴェーダ時代
汎南アジア主義
他国の侵攻 ヒンドゥー教徒によるインド最後の王国、マラーター王国の最大版図
インドは過去の歴史上、マラーター王国におけるシヴァージー、ジャーンシーにおけるラクシュミー・バーイー、ラージプーターナーにおけるキットゥール・チェンナマ(英語版)やプラタープ・シング(マハーラーナー・プラタープ)、チャウハーン朝のプリトヴィーラージ3世(英語版)、ガズナ朝皇帝マフムードやイギリスのインド支配を排除しようとしたティプー・スルターンなど、他国のインド侵攻やインド支配に対して多くの王、王妃を擁して対抗してきた[2]。マウリヤ朝のチャンドラグプタやマガダ国のアショーカ王など、古代インドの王は宗教的な寛容さもさることながら戦の天才として後世に語り継がれている。
ムスリムの王もまたインドの誇りの一部となっている[3]。ムガル帝国最盛期の王であったアクバルは国内の宗教的対立を解消しようとし、国内にカトリック教会を設置することでヒンドゥー教徒、仏教徒、シク教徒、ジャイナ教徒などと共に、カトリック信者とも友好関係を保っていたことが知られている。