Indianapolis 500
インディカー・シリーズ
開催地インディアナポリス・モーター・スピードウェイ
初開催1911
全長500マイル (805 km)
周回200
旧名International Sweepstakes (1911?1915, 1920-1980)
Liberty Sweepstakes (1919)
最多勝利
(ドライバー)A.J.フォイト (4)
アル・アンサー (4)
リック・メアーズ (4)
エリオ・カストロネベス (4)
最多勝利
(チーム)ペンスキー (17)
最多勝利
(マニファクチャー)Chassis: ダラーラ (18)
Engine: オッフェンハウザー
インディアナポリス500 (Indianapolis 500) は、アメリカ合衆国インディアナ州インディアナポリス市近郊のスピードウェイにあるインディアナポリス・モーター・スピードウェイで毎年5月に開催されるアメリカンモータースポーツイベントである。略称のインディ500 (Indy 500) で呼ばれることもある。
概要Panoz G-Force GF09B
(2004年優勝のバディ・ライスのマシン)
インディ500の決勝レースは毎年5月最終月曜日・メモリアルデーの前日の日曜日、すなわち5月24日から30日までの日曜日に開催される。インディアナポリス・モーター・スピードウェイのオーバルトラック1周2.5マイル (約4.023 km) を200周、走行距離500マイル (805 km)で争う。第1回開催は1911年。モナコグランプリ、ル・マン24時間レースと並び世界3大レースのひとつに数えられる。近年はモナコGPと同日に開催されることが多くなっている。 インディ500の周回平均速度は予選で362 km/h、決勝でも354 km/hを超える。これは同じマシンでレースが行われるインディカー・シリーズの中ではもちろん、世界の周回レースカテゴリーの中でも最も速い。また、最高速度は380 km/hに達する。これはF1の瞬間最高速度記録 (372.4 km/h) を上回り、これより速いカテゴリーはドラッグレース (NHRAトップフューエルクラスで 520 km/h超) のような非周回レースに限られる。また、最高速だけであれば一部のプロトタイプカーが400 km/hを超えたこともあった[1]。33台のマシンがテール・トゥー・ノーズ、サイド・バイ・サイドで競り合い、ドラフティング(スリップストリーム)を駆使してオーバーテイクするアメリカンモータースポーツの典型とも言える展開が広がる。 1950年から1960年までは世界選手権という体裁を整えるためにF1の一戦として組み込まれていた。しかしF1ドライバーの参戦は少なく、ほとんど名目上のものであった[注釈 1]。1996年以降はインディカー・シリーズの最大イベントレースとして組み込まれている。 普段のインディカーレースが平均して50万人程度の視聴者数なのに対し、インディ500は500万人以上がTV観戦するほど注目度は高い[2]。現地でも、普段は空席の目立つオーバルに40万人が大挙し埋め尽くす、国民的な大イベントとして存在している。 2014年シーズンから2022年シーズンの決勝レースでは順位に応じて通常与えられるポイントの2倍が与えられていた。 1960年代までのインディ500は、様々なエンジン形式、駆動方式が参加可能であった。1952年にポールポジションを獲得したターボディーゼルエンジン搭載のカミンズ・ディーゼル・スペシャルや1967年
世界最速の周回レース
選手権としての位置付け
車両
CARTやインディカー・シリーズなどのオープンホイールレース選手権の1戦に組み込まれるようになると、参戦車両は選手権のレギュレーションに対応したものに変わった。インディ500では「スーパースピードウェイ・パッケージ」と呼ばれる高速オーバル用のエアロパーツが取り付けられる。これは前後共に一枚板構造(シングルエレメント)を持ち、空気抵抗を最小限に抑えることで超高速走行を実現している。 速度域の高さや接戦の多さから、レース中には事故(クラッシュ)もたびたび発生している。レーシングマシンの安全性が低かった時代には何度か死亡事故も発生しているが、2021年現在、1996年 小さなサポートイベントなどを含めると約2週間にわたって行なわれること、予選グリッドの決め方が独特であることや、レース優勝者には牛乳が与えられるなど(下述)、他のレースと異なる「伝統」を持ったレースである。また、準優勝者(二位)には「最も速かった敗者」、初参戦のドライバーで最も活躍した者(基本的には最上位を獲得した者だが、2017年のように途中何度も1位に立ったがリタイアした選手に贈られる場合もある。)には「ルーキー・オブ・ザ・イヤー」の称号が与えられる。また、決勝の順位ごとに賞金が与えられるほか、「決勝1周目をトップで通過したドライバー」、「最後に予選を通過したドライバー」など、さまざまなケースのボーナス賞金がある。 インディ500の優勝トロフィーとして「ボルグワーナー・トロフィー」がある。このスターリングシルバー製トロフィーのチェッカーフラッグ状の壁面にはインディ500の歴代優勝者全員の顔を立体的にかたどったレリーフが埋め込まれ、それぞれ下のブロックに優勝者の氏名・開催年・優勝者の決勝レースにおける平均速度(マイル毎時 (mph))が刻まれている。トロフィーという名称ではあるが優勝者が持ち回りで所有できるわけではなく、また約153ポンド (69.4 kg) という重さのため持ち上げることもできない。普段はIMS内のミュージアムに展示されていて、インディ500決勝日にヴィクトリーレーンに飾られるモニュメント的な存在である。インディ500優勝者にはトロフィーの壁面に自分の顔のレリーフを埋め込む権利、決勝レースの翌日にトロフィーと一緒に写真を撮る権利が与えられ、後日ボルグワーナー・トロフィーを模したミニトロフィーが授与される(こちらは永久保持が可能)。1935年に制作されてから82年間、アメリカ国外に出たことがなかったが、2017年に佐藤琢磨が優勝したことを記念した日本での凱旋ツアーのために史上初めて国外に出ることとなった。 インディ500は5月中旬に開幕し、練習走行・予選・決勝レースなどのレースプログラムと、サイン会やパレードなどの観客向けイベントが約3週間に渡って開催される。期間中にはインディカー・シリーズの公式戦である「グランプリ・オブ・インディアナポリス」やインディ・ライツの「フリーダム100」といったレースイベントも開催される。以下は例年行われるレース関連行事である。 いわゆるルーキーテストのことで、4月中旬または下旬に行われるオープンテスト初日に行われるが、ここでクリアできなかった選手やオープンテスト以後にエントリーした選手向けにレーススケジュール中のプラクティス初日の最初にも行われる場合がある。初出場のドライバーや長らくオーバルでのレースに出場していないドライバー(「リフレッシャー」と呼ばれる)が対象となっていて、これに合格しないとインディ500への出走が認められない。インディ500では常に350 km/h (217 mph) 以上の巡航速度でレースが進むため、極端に遅いマシンはレースの妨げになり大変危険である[注釈 2]。そこでコースレイアウトに慣れることと、安定したペースで周回を重ねられるようになることが主な到達目標に据えられている。細かい部分は年によって異なるが、目標となる平均速度毎にいくつかの「フェーズ」が用意され、それらを1つずつクリアしていく方式がとられる。 5月第3週の火曜日から金曜日に行われる自由練習期間。前半は概ねマシンセッティングの確認が行われる。後半は予選に向けたハイペース走行や、決勝を意識したスリップストリームを使う練習が行われる。特に最終日の金曜日は"ファストフライデー"と呼ばれ、この日のトップタイムを記録したドライバーには賞金が贈られる。 5月第3週の土曜日、及び翌日曜日の2日間で行われる(2001-2009年などは4日間)。複雑な方式によって行われるため、それについては下記の予選方式にて解説する。 決勝レース2日前、金曜日 (2004年までは木曜日) 午前に1時間だけ行われる最終練習。予選を通過した33台すべてが決勝レース用のセッティングを施してコースに入り、ドラフティングを利用しながらレースを想定した練習走行をする。カーブ・デイとはカーブレーション・デイの略であり、かつて決勝レースの前にカーブレーター=キャブレターを調整できる最後の時間であったためにこの名がついた。また、この日の正午過ぎにフリーダム100が開始される。午後には一部のドライバーと担当ピットクルーがピット作業の速さを競う「ピットストップ・コンテスト」が行なわれる。 インディ500の予選方式は何度か変更されているが、2022年現在はおおむね以下の方式によって行なわれている[3]。 インディ500では、予選と決勝でドライバーを交代させることができる。これは、予選が「決勝に進出するドライバーではなくマシンを選ぶ」という理念に基づくものであることによる。1960年代までのようにヨーロッパのF1選手権シリーズとの間での人的交流が盛んだった時代には、このシステムを利用して「予選を通過したマシン」に決勝だけ乗り込むF1ドライバーも稀ではなかった。ただし、ドライバー交代が行われたシャシーはグリッドが最後尾に降格する。2台以上で交代があった場合、選手権ポイントが少ない方が最後尾につく。 予選1日目でまず30位までの決勝進出者が決定する。エントリーする全ての選手が最低1回のアテンプトを行い、その暫定順位によって以下のように振り分けられる。 1日目は予選時間中であれば、回数に制限なくアテンプトを行える。1回目は前日のくじ引きにより決まった順番にアテンプトする。2回目以降のアテンプトに臨む際は、直前に記録されたタイムを取り消すか残すかを選択できるが、取り消した選手が優先的に出走でき、取り消して再アテンプトする選手がいない場合に限り、取り消さない選手の再アテンプトが可能となる。なお、エントリーが33台以下で予選落ちが発生しない場合は、1日目で予選13位-33位の予選順位が確定し、予選2日目の「ラストチャンス・クオリファイ」は行われない。 予選2日目は、3つのセッションが行われる。予選2日目に参加する選手は前日の記録はすべてリセットされる(暫定順位は保存される)ため、再びアテンプトを行う必要がある。なお予選上位12台にはこの日確定した順位をもとに選手権ポイントが与えられる。 回年優勝者車体・エンジンチーム/オーナーレース距離[歴代 1]
危険性
伝統
ボルグワーナー・トロフィー
大会日程
ルーキー・オリエンテーション・プログラム (ROP)
練習走行
予選
カーブ・デイ
予選方式
基本事項
予選通過枠は33台、スターティンググリッドは3台?11列。
予選1日目を土曜日、2日目を日曜日に行う。
ドライバーは1回の計測(アテンプト)で4周走行し、その平均速度が参照される。
予選2日目が雨のためセッションが行われない場合、順延されず1日目の上位12台の順位で確定されるが、ラストチャンス・クオリファイは翌日以降に順延される。
ドライバー交代
予選1日目
1位-12位:予選通過確定、予選2日目進出
13位-30位:予選通過、及び予選順位確定
31位以下:予選2日目のラストチャンス・クオリファイへ
予選2日目(ポール・デイ)
トップ12・クオリファイ
前日の予選1位から12位の選手を対象に、順位の低い選手から一度だけアテンプトを行い、上位6台がファスト・シックスに進出。7-12位の選手は予選順位が確定する。
ラストチャンス・クオリファイ
31番手から33番手のスターティング・グリッドを確定させるセッションが行われる。予選1日目の暫定予選順位31位以下の選手を対象に、参加選手中、1巡目は金曜日のくじ引きの早い順に一度アテンプトを行い、その後は制限時間中であれば再アテンプトは可能だが、その場合直前に出した記録は必ず取り消される。最終的に平均速度が速い順位で31位 - 33位(参加者中上位3台)の選手が予選通過、34位以下は予選落ちとなる。なお、前日30位以上の選手より速い記録を出しても、31位以下からのスタートとなる。
ファスト・シックス
ファスト・シックスではポール・ポジションから6番手までのスターティング・グリッドが確定する。トップ12・クオリファイの1位から6位の選手を対象に、順位の低い選手から一度だけアテンプトを行う。
歴代優勝者
(マイル)平均時速[歴代 2]
(マイル毎時 (mph))
11911年
21912年
31913年
41914年
51915年(英語版) ラルフ・デパルマメルセデスE.C Patterson89.840
61916年(英語版) ダリオ・レスタプジョープジョー300[歴代 4]84.001
1917年・1918年: 第一次世界大戦の影響により開催されず
71919年(英語版) ハウディ・ウィルコックスプジョーI.M.S Corporation50088.050
81920年(英語版) ガストン・シボレーフロンテナックウィリアム・スモール・カンパニー88.618
91921年(英語版) トミー・ミルトンルイ・シボレー89.621
101922年(英語版) ジミー・マーフィーデューセンバーグ・ミラー(英語版)ジミー・マーフィー94.484
111923年(英語版) トミー・ミルトンミラーH. C. S.モーターカンパニー90.545
121924年(英語版) ローラ・L・コラム、
ジョー・ボイヤー[歴代 5]デューセンバーグ98.545
131925年(英語版) ピーター・デパオロ101.127
141926年(英語版) フランク・ロックハート[歴代 3]ミラーピーター・クライス400(雨)95.904