インテルラゴス・サーキット
Autodromo Jose Carlos Pace
Interlagos2018年の空撮より
所在地 ブラジル・サンパウロ市
標準時GMT -3
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}南緯23度42分4秒 西経46度41分50秒 / 南緯23.70111度 西経46.69722度 / -23.70111; -46.69722
アウトドローモ・ホセ・カルロス・パーチェ[1](葡: Autodromo Jose Carlos Pace)は、ブラジルの南部サンパウロ市にあるサーキット。インテルラゴス (Interlagos) とも呼ばれる。F1ブラジルGPが行われる。
概要地図(サンパウロ市)
サンパウロ近郊のグアラピランガ湖とビリングス湖の近くにあるサーキットで、「インテルラゴス」は「湖の間」という意味がある。もともとインテルラゴスの湖畔地域は、サンパウロでは著名な別荘地であるものの、サーキット周辺の土地は湖からも遠いため不動産業者が宅地開発に不向きと判断して1930年代にサーキットを建設し、1940年にオープンした[2]。
しかし、1960年代以降のブラジル経済の急成長によりサーキット周辺に住宅地が形成され[3]、さらに2000年代には近隣に地下鉄駅も出来たことから、現在は高層アパートが立ち並ぶベッドタウンになっている。
サーキット名は1970年代にブラバムに在籍したサンパウロ出身のF1ドライバー、ホセ・カルロス・パーチェに由来する。パーチェは1975年のブラジルGPで地元においてF1初優勝を達成し エマーソン・フィッティパルディに次ぐチャンピオン候補と言われたが、1977年に飛行機の墜落によって死亡した。
1940年の開設後[2]、サンパウロ周辺で最大のサーキットであることからF1から国内選手権、地方選手権まで多くのレースが開催されている。ブラジルGP初開催は1973年。南米におけるF1開催は1998年までアルゼンチンGPが行われていたが、現在は当地で行われるブラジルGPのみである。
旧レイアウトでのグランプリ開催はグランド・エフェクト・カーの台頭による安全面の問題や、サーキット周辺の治安悪化問題が原因となり1980年で終了し、1981年からはリオデジャネイロのジャカレパグアへ移った。その後レイアウトを短縮し、1990年にブラジルGPの開催地がインテルラゴスに戻り、最初の優勝者はアラン・プロストとなった。なおジャカレパグアはその後廃止された。
1991年から2000年までの10年間のうち、1993年のアイルトン・セナ以外はこのグランプリの優勝者がワールドチャンピオンになっており、一時はブラジルGP(インテルラゴス)を制すものはタイトルを制すと、一部でジンクスのごとくささやかれた。2004年以降はシーズン終盤の開催となり、2005年から2009年まで5年連続でチャンピオン決定の場となった。
サンパウロは標高800mの高原地帯に位置するため天候が変わりやすく、レース中に通り雨が降ることがある。ブラジルGPでは1993年のセナの逆転優勝や2003年の赤旗レース終了前にトップとなったジャンカルロ・フィジケラの逆転優勝、2008年の最終ラップのチャンピオン決定劇といったドラマを演出している。
2016年10月に行われたサンパウロ市長選挙で当選したジョアン・ドリアは「インテルラゴス・サーキットの民営化を積極的に進めたい」と語っている[4]。
2017年、インテルラゴスは補助金打ち切りにより資金難に陥ったが、ブラジルでの開催を重視したバーニー・エクレストンは2018年から2020年までの開催権料を免除する救済策を実施、引き続きレースの開催が担保された。