インチクィン男爵
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インチクィン男爵
Baron Inchiquin

創設時期1543年7月1日
創設者ヘンリー8世
貴族アイルランド貴族
初代初代男爵マロー・オブライエン
現所有者19代男爵コナー・オブライエン
推定相続人マイケル・オブライエン閣下
付随称号(レメナの)準男爵
現況存続
邸宅トモンド・ハウス
男爵家当主はオブライエン氏族長を兼ねる

インチクィン男爵(英語: Baron Inchiquin)は、アイルランド貴族男爵位。

マロー・オブライエン1543年に叙されたのに始まる。6代男爵マロー・オブライエン(英語版)の代の1654年にインチクィン伯爵、10代男爵マロー・オブライエンの代の1800年にトモンド侯爵に叙せられているが、両爵位とも1855年に廃絶。インチクィン男爵のみ初代男爵に遡っての分流に継承されて現存している。
歴史マロー・オブライエンイングランド王ヘンリー8世にトモンド王冠を渡して降る様子を描いた絵画。直後、引き換えにトモンド伯爵、インチクィン男爵に叙せられる。

最後のトモンド王(英語版)であったマロー・オブライエン(-1551)は、イングランドのアイルランド支配に対抗するも結局ヘンリー8世に降伏し、1543年7月1日勅許状アイルランド貴族爵位トモンド伯爵(Earl of Thomond)とインチクィン男爵(Baron of Inchiquin)に叙せられた。インチクィン男爵位は通常通り直系の男系男子に継承される爵位だが、トモンド伯爵位はマローの甥ドノー・オブライエン(英語版)(前トモンド王コナー・オブライエン(英語版)の息子)に継承される旨の特別継承権の規定が付けられていた[1][2]

この規定によりマローの長男ダーモッド・オブライエン(-1557)は、2代インチクィン男爵位のみを継承した[2]

6代男爵マロー・オブライエン(英語版)(1618?1674)は、ピューリタン革命期にマンスターの王党派を指揮した[3]1654年10月21日にはアイルランド貴族爵位インチクィン伯爵(Earl of Inchiquin)とクレア県におけるバレンのオブライエン男爵(Baron O'Brien, of Burren in the County of Clare)に叙せられた[4][5]

2代伯ウィリアム・オブライエン(英語版)(1640?1692)は、1690年から1692年にかけてジャマイカ総督を務めた[4][6]

5代伯マロー・オブライエン(1726?1808)は、襲爵前にアイルランド議会の、襲爵後はグレートブリテン議会の庶民院議員を務めた。彼は1800年12月29日に男子なき場合に兄弟への特別継承権を認めたアイルランド貴族爵位トモンド侯爵(Marquess of Thomond)に叙せられた。さらに1801年10月2日には連合王国貴族爵位バッキンガム州におけるタプロウのトモンド男爵(Baron Thomond, of Taplow in the County of Buckingham)に叙せられたことで連合王国議会貴族院議員となったが、彼には男子がなかったためこのトモンド男爵位は彼一代で廃絶している[7][8]

初代トモンド侯の死後、甥にあたるウィリアム・オブライエン(1765?1846)が特別継承規定により2代トモンド侯となる。彼はアイルランド貴族代表議員としてイギリス貴族院議員を務めた後、1826年7月3日に連合王国貴族爵位ヨーク州におけるタッドカスターのタッドカスター男爵(Baron Tadcaster, of Tadcaster in the County of York)に叙せられた。しかし彼にも男子はなかったのでタッドカスター男爵位は彼一代で絶えた[7][9]

2代トモンド侯の死後、その弟であるジェイムズ・オブライエン(英語版)(1768?1855)が3代トモンド侯を継承した。彼は海軍大将まで昇進した海軍軍人だった。子供はなく、彼の死去を以てインチクィン男爵位を除く全爵位(トモンド侯・インチクィン伯・オブライエン男爵)が廃絶した[7][10]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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