インダス文明
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モヘンジョダロ儀式で使用された陶器
紀元前2600?2450年

インダス文明(インダスぶんめい、: Indus Valley Civilisation)は、インドパキスタンアフガニスタンインダス川および並行して流れていたとされるガッガル・ハークラー川周辺に栄えた文明である。

これら各国の先史文明でもある(インドの歴史パキスタンの歴史アフガニスタンの歴史も参照)。

崩壊の原因となったという説のあった川の名前にちなんでインダス文明、最初に発見された遺跡にちなんでハラッパー文明とも呼ばれる[1]

狭義のインダス文明は、紀元前2600年から紀元前1800年の間を指す。インダス文明の遺跡は、東西1500 km、南北1800 kmに分布し、遺跡の数は約2600におよぶ。

そのうち発掘調査が行われた遺跡は、2010年時点でインド96、パキスタン47、アフガニスタン4の合計147となっている[2]
歴史詳細は「インダス文明の時代区分(英語版)」を参照詳細は「インダス文明遺跡のリスト(英語版)」を参照「ジャンムー・カシミール州」、「ギルギット・バルティスタン州」、「バローチスターン州」、「パンジャーブ」、「パンジャーブ州 (パキスタン)」、「パンジャーブ州 (インド)」、「ラージャスターン州」、「シンド州」、「グジャラート州」、「ハリヤーナー州」、および「マハーラーシュトラ州」も参照
初期食料生産期詳細は「メヘルガル」を参照

メヘルガルI期紀元前7000年 - 紀元前5500年)は、土器をともなわない新石器時代である。.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

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領域形成期(紀元前5500年 - 紀元前2600年)紀元前3300?2600年時点におけるインダス文明の推定範囲。詳細は「メヘルガル」を参照

メヘルガルII期紀元前5500年 - 紀元前4800年)は、土器をともなう新石器時代である。メヘルガルIII期紀元前4800年 - 紀元前3500年)は、銅器時代後期である。メヘルガルW期紀元前3500年 - 紀元前2600年)で集落が放棄された。詳細は「カーリバンガン」、「ハラッパー」、および「コト・ディジ」を参照

ハラッパーI期(紀元前3300年 - 紀元前2800年、ラーヴィー期[† 1]には、パンジャーブ地方のラーヴィー川(英語版)河岸でハラッパー文化が、ラージャスターン地方のガッガル・ハークラー川河岸でカーリバンガン文化が、それぞれ始まった。それに続くハラッパーII期(紀元前2800年 - 紀元前2600年)は、シンド地方でコト・ディジ文化が始まった。

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統合期(紀元前2600年 - 紀元前1900年)紀元前2600?1900年時点におけるインダス文明の推定範囲。詳細は「ハラッパー」、「モヘンジョダロ」、「ロータル」、および「ドーラビーラ」を参照

狭義のインダス文明はこの統合期を指す。ハラッパーIIIA期(紀元前2600年 - 紀元前2450年)、ハラッパーIIIB期(紀元前2450年 - 紀元前2200年)、ハラッパーIIIC期(紀元前2200年 - 紀元前1900年)の三期に区分される。

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滅亡BMACと他の文化との位置関係
バクトリア・マルギアナ複合(BMAC)
アンドロノヴォ文化(Andronovo)
Yaz文化(英語版)(Yaz)
ガンダーラ墓葬文化(英語版)(Swat)
H墓地文化(英語版)(Cemetery H)「インダス川#歴史」も参照

インダス文明の衰退や滅亡については次のような諸説がある。
砂漠化説
インダス文明が存在した地域は現在砂漠となっている。インダス文明が消えたのは、この砂漠化によるのではないかという説がある。

砂漠化の原因としては、紀元前2000年前後に起こった気候変動があげられている。

大西洋に広がる低気圧帯は、一時北アフリカと同じ緯度まで南下し、さらにアラビアペルシア・インドにまで及んで、雨をもたらし、緑豊かな土地になっていた。

しかしやがてこの低気圧帯は北上し、インドに雨をもたらしていた南西の季節風も東へ移動して、インダス文明の栄えていた土地を現在のような乾燥地帯にしてしまった、という説である。

衰退後の植物相や動物相には大きな変化が見受けられないことから、気候の変動を重視する説は見直されている。インダス文明が森林を乱伐したために砂漠化が進行したという説もある。

しかし、乾燥化説については、ラクダの骨や乾地性のカタツムリが出土していること、綿の生産が行われていたことなどは、川さえあれば気温の高い乾燥ないし半乾燥地帯で文明が興りえたことを示し、「排水溝」も25ミリの雨がふっただけでももたない構造であり、煉瓦を焼くにも現在遺跡の周辺で茂っている成長の早いタマリスクなどの潅木でも充分間に合ったのではないかという反論があり、決定的な説となってはいない。
河流変化説
紀元前2000年頃に地殻変動が起こり、インダス川の流路が移動したために河川交通に決定的なダメージを与えたのではないかという説。

インダス遺跡はインダス川旧河道のガッカル=ハークラー涸河床沿いに分布している。
気候変動説
気候変動によってインダス文明が衰退したとする説である。

4200年前には、地中海から西アジアにかけて冬モンスーンが弱く乾燥化が起き、メソポタミアではアッカド王国崩壊の一因になったという説がある。

こうしたモンスーン変動がインダス文明の地域にも影響を与えたとされる。


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