インターナショナル・ウォッチ・カンパニー
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GST IWCのショップ(尖沙咀

インターナショナル・ウォッチ・カンパニー(International Watch Company 、IWC)とは、スイスの高級時計メーカーである。リシュモングループに属する。現CEOはクリストフ・グランジェ・ヘア。

インターナショナル(International )と略称される。日本の時計業界でも古くから「インター」の通称で知られてきた。
目次

1 概要

2 歴史

3 製品

3.1 ポルトギーゼ

3.2 アクアタイマー

3.3 インヂュニア

3.4 パイロット

3.5 ポートフィノ

3.6 ダ・ヴィンチ

3.7 ポルシェ・デザイン

3.8 イル・デストリエロ・スカフージア


4 関連項目

5 外部リンク

概要

多くのスイス時計メーカーがフランス国境に寄った国内西部に位置する中、ドイツ国境に間近い国内北部のシャフハウゼンに拠点を置き、端的に「質実剛健」と評される独自の社風を持つ時計メーカーとして知られる。スイス企業でありながら1868年創業以来英語社名であるのは、創業者がアメリカ人であったことによる。

創業時からスイスの伝統的技術とアメリカの機械自動化の製造技術を一体化し、効率的で完成度の高い時計作りを目指した。懐中時計が主流の時代から高い評価を受け、日本でも高級懐中時計の代名詞となっていた。腕時計が主流の時代になると、天文台コンクールやクロノメーター規格には参加しなかったものの、優秀級クロノメーターよりも厳しい規格を社内で独自に設け、生産した。基本設計が優れていることに加え、部品の材質・仕上げにコストをかけているため、長期にわたって使用しても、メンテナンスさえ怠らなければ、長く新品時の時間的精度を維持できると言われた。

1915年から腕時計に参入、懐中時計の時代程ではないにせよ高い知名度を保った。腕時計時代にも高品質と良質な仕上げで評価の高い自社製キャリバーを輩出している。第二次世界大戦前には古い手巻のキャリバー83、角形手巻のキャリバー87などの優品があり、1938年のキャリバー60では、秒針を中心軸配置する「センターセコンド」前提の設計をいち早く採用、秒針が独立したスモールセコンド型の派生としてセンターセコンド機を作っていた競合各社をリードした。ヴァシュロン・コンスタンタンから1944年に移籍した時計技術者アルバート(アルベール)・ペラトン(Albert Pellaton 1898-1976)が辣腕を振るった第二次大戦後も生産合理化を図りながらも高品質を維持、ペラトンが在来型を刷新した手巻のキャリバー89(1946年設計)は、完成度の高い質実剛健な構造で1974年まで生産されるロングセラーとなった。更にペラトンは独自のラチェット動力伝達両回転型「ペラトン式自動巻機構」(1946年開発、特許取得)を備えたキャリバー85系(1950年設計)でも成功を収め、自動巻主流化の潮流にいち早く乗っている。

ペットネームを持たない製品が多いが、数少ない例外であり高い耐磁性能を持つ『インヂュニア』(Ingenieur 、1955年発売)、ヨットマンのために特殊ラバーで衝撃を吸収する『ヨットクラブ』(Yacht Club )等のモデルは、アンティーク市場において非常に高い人気がある。パイロットウォッチの『マークシリーズ』はマーク11までキャリバー89を搭載していたが、マーク12以降はジャガールクルト、エタの機械を採用している。

クォーツ式腕時計用ムーブメントベータ21の開発に参画、1970年には『ダ・ヴィンチ』に搭載して発売した。

安価な日本製クォーツ式時計が市場を席巻し、時計の価格が大幅に下落したため、機械式の製品では懐中時計以外の自社製ムーブメントの開発・生産を打ち切り、安価なエタ製の汎用機械を搭載するようになった。多くの一流時計メーカー同様、企業存続のための、止むを得ない選択だった。エタ製の機械には大幅に独自のカスタマイズを施しているといわれる。70年代初頭まではロレックスよりも格上の高級ブランドとして認知されていたが、エタ製の機械の採用に伴い、かつてのブランドイメージと人気を失ったことは、否めない。一方でエタ社に製品の改良要望を行っており、エタ社製品の精度や製品検査体制に影響を与えたといわれている。

80年代中ばに入ると、機械式時計の人気が再び世界的な高まりを見せるようになり、とりわけマニュファクチュールのブランドが人気を集める。この時代に、エタ製キャリバーの独自改良製品によってIWC製品の評価を高めたのは、ペラトンの薫陶を受けたIWC生え抜き技術者のクルト・クラウスであった。2000年に、エタ製の機械をベースとしてペラトン式自動巻機構を採用したキャリバー5000を開発、少数ながら『インヂュニア オートマチック』や『ポルトギーゼ オートマチック』等に搭載し製造するようになった。ダイムラーの高級車ブランド、AMGとコラボレートした『インヂュニアオートマチックAMG』もリリースしている。

現在は「ポートフィノ」「インジュニア」「ポルトギーゼ」「アクアタイマー」「パイロットウォッチ」「ダ・ヴィンチ」の6つの商品ラインから構成されており、活性化の為に毎年1つのラインを一新する手法がとられている。
歴史

1868年 - アメリカ人技師で以前ハワードで働いていたフロレンタイン・アリオスト・ジョーンズ(Florentine Ariosto Jones )が時計職人のハインリヒ・モーザー(ドイツ語版)(Heinrich Moser )と協力し、アメリカ市場向けに懐中時計を販売するためスイスシャフハウゼンで創業。

1880年 - 経営権がヨハネス・ラウシェンバッハ・フォーゲル(1815年?1881年)に移る。

1881年 - 経営権をヨハネス・ラウシェンバッハ・シェンク(1856年?1905年)が相続した。

1885年 - 台帳に生産した全製品のキャリバー、素材、ケース詳細の記録を始める。

1899年 - 女性向け懐中時計用のキャリバー64を流用した腕時計を発売。

1903年 - ヨハネス・ラウシェンバッハ・シェンクの娘エンマ・マリーがカール・グスタフ・ユングと結婚、ベルタ・マルガレッタがエルンスト・ヤコブ・ホムバーガー(1896年?1955年)と結婚した。

1905年 - 株式の一部をエルンスト・ヤコブ・ホムバーガーが相続し経営権を引き継いだ。

1915年 - 当初より腕時計用として設計されたキャリバー75を使用し腕時計製造に本格参入。

1939年 - カール・グスタフ・ユング所有の株式をエルンスト・ヤコブ・ホムバーガーが全部取得、個人オーナーとなった。

1936年 - 軍専用パイロットウォッチを発売。

1939年 - 懐中時計のムーブメントを使用した大型の『ポルトギーゼ』発売。

1944年 - アルバート・ペラトンがIWCに入社。

1946年 - 技術責任者アルバート・ペラトンによる自動巻機構の特許取得。

1948年 - パイロット・ウォッチ『マークXI』発売。

1955年 - 耐磁時計『インヂュニア』(Ingenieur )発売。

1957年 - クルト・クラウスがIWCに入社。

1958年 - 『ポルトギーゼ』生産停止。

1966年 - アルバート・ペラトン、IWCを退職。

1967年 - ケース内に専用リューズで操作できる回転ベゼルを持つ防水時計『アクアタイマー』(Aquatimer )発売。

1969年 - クォーツショックを受け、クォーツ式腕時計用ムーブメントベータ21の開発に参画。

1970年 - ベータ21を使用したクォーツ式腕時計『ダ・ヴィンチ』発売。

1976年 - ジェラルド・ジェンタデザインによる新型の『インヂュニア』を発表。5個のビス穴が特徴で、以降踏襲される。

1978年 - ポルシェデザインの最初の時計『コンパス・ウォッチ』を発売。

1984年 - 古典的なデザインの『ポートフィノ』を発売。

1989年 - 史上最高の耐磁性能500,000A/mを持つ『インヂュニア』販売。

1993年 - 創業125周年。本社社屋内に博物館の開設を決定した。『イル・デストリエロ・スカフージア』(Il Destriero Scafusia )を125本限定販売。『ポルトギーゼ』ラインを復活させた。パイロット・ウォッチ『マークXII』発売。

1985年 - クルト・クラウス設計による、ETAのCal.7750に永久カレンダーを組み込んだ『ダヴィンチ パーペチュアルカレンダー』を発表。


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