インタースコープ・ゲフィン・A&Mレコード
親会社ユニバーサル ミュージック グループ
設立1999年1月 (25年前) (1999-01)
販売元
自社流通( アメリカ合衆国)
ポリドール・レコード( イギリス)
ユニバーサル ミュージック ジャパン( 日本)
ユニバーサル・ミュージック・エンタープライズ
インタースコープ・ゲフィン・A&Mレコード(Interscope Geffen A&M Records)は、インタースコープ・レコード、ゲフィン・レコード、A&Mレコードからなるアメリカ合衆国のユニバーサル ミュージック グループ内のレコードレーベル・グループ。 インタースコープ・ゲフィン・A&Mレコードは、ポリグラムとMCAミュージック・エンタテインメントの合併によるユニバーサル・ミュージック・グループの誕生に伴い、1999年に設立された。MCAのレーベルのインタースコープ・レコード、ゲフィン・レコード、そして当時休眠状態にあったポリグラム傘下のA&Mレコードを統合して誕生したレーベル・グループである。このレーベルは、新たに設立されたユニバーサル・ミュージック・グループの4社の傘下企業のうちの1社として運営され、他の3社はユニバーサル・モータウン・リパブリック・グループ、ヴァーヴ・レコード、アイランド・デフ・ジャム・ミュージック・グループであった[1]。 合併の結果、かなりの割合のアーティストやグループがA&Mレコードとゲフィン・レコードから脱退した。両社はレーベルとして存続したものの、280人もの雇用がなくなり、A&Mレコードのチャーリー・チャップリン・ロット
沿革
A&Mレコードとゲフィン・レコードはインディーズ・レーベルとして尊敬を集め、商業的にも芸術的にも大きな成功を収めていた。しかし、両レーベルとも創業者が売却しており、売却以前の数年間は予算不足と非生産的なバンドとの契約に悩まされていた。合併当時、両レーベルともビルボードのトップ40に入るレコードはなかったが、インタースコープはドクター・ドレー、スヌープ・ドッグ、2パック、ナイン・インチ・ネイルズ、ノー・ダウト、リンプ・ビズキット、ブッシュなどのアーティストによるヒット・レコードで「アメリカの若者の新しいサウンドを定義」していた。インタースコープの共同設立者であるジミー・アイオヴィン(英語版)とテッド・フィールドは、インタースコープ・ゲフィン・A&Mレコードの発足に際して共同会長に指名された[4][5]。
2000年、ユニバーサル・ミュージック・グループは、音楽企業として初めてEBITDA(金利・税金・減価償却費控除前利益)が10億米ドルを突破した。音楽販売シェアは28.03%で首位、グループ内レーベルの中ではインタースコープ・レコードが8.97%で首位だった[6]。
2003年、ユニバーサル・ミュージック・グループはドリームワークス・レコード(英語版)を買収し、2004年にはインタースコープ・ゲフィン・A&Mレコードに吸収合併された。ブリンク 182、パパ・ローチ、ライズ・アゲインスト、ネリー・ファータド、ライフハウス、AFI、オール・アメリカン・リジェクツ、ジミー・イート・ワールド、ルーファス・ウェインライトなどのアーティストはゲフィン・レコードとインタースコープ・レコードに移籍した[7]。
2010年、インタースコープ・ゲフィン・A&Mレコードと19エンタテインメント(英語版)は、アメリカン・アイドルのファイナリストおよび優勝候補のレコードを開発、流通、世界的に販売する戦略的提携を発表した[8]。2013年には、2007年に合弁会社として設立されたA&Mオクトーン・レコード(英語版)を完全子会社化した[9][10]。
アイオヴィンは、2014年5月までインタースコープ・ゲフィン・A&Mレコードの会長兼最高経営責任者を務めていた。後任にはジョン・ジャニック(英語版)が就任した[11]。
レーベル
ゲフィン・レコード詳細は「ゲフィン・レコード」を参照
シネマティック・ミュージック・グループ(英語版)
ダウンタウン・レコード(英語版)
レベル・ミュージック
インタースコープ・レコード詳細は「インタースコープ・レコード」を参照
シェイディー・レコード
アフターマス・エンターテインメント
ドリームビル・レコード(英語版)
キディナコーナー(英語版)
トップ・ドッグ・エンターテインメント
ゾーン4(英語版)
休止
A&Mレコード
A&Mオクトーン・レコード(英語版)
A&MレコードUK(ポリドールUKのサブレーベルとして2008 年に設立)
DGCレコード(英語版)
ドリームワークス・レコード(英語版)
ファシネーション・レコード(英語版)
フローレス・レコード(英語版)
フィクション・レコード
コン・ライブ・ディストリビューション(英語版)