インターコスモス(ロシア語: Интеркосмос〈インチェルコースマス[1]〉、英語: Intercosmos[2])は、ワルシャワ条約機構の同盟国と協力しておこなわれたソビエト連邦の宇宙探査計画である。ジャン=ルー・クレティエンがサリュートを訪れる等、フランスやインド等のソ連に賛同的な国も利用できた。
最も有名なインターコスモスのミッションは、1978年から1988年にソ連人以外の14人がソユーズで飛行したことである。無人の人工衛星の打上げもこのプログラムの一環として行われた。
有人ミッションのほとんどはサリュート6号およびサリュート7号でおこなわれ、ミールで3回実施されて終了している。インターコスモス計画終了後は、国際共同飛行へと移行した。 日付乗組員バックアップ国ミッション チェコスロバキアソユーズ28号 ポーランドソユーズ30号 東ドイツソユーズ31号 ブルガリアソユーズ33号 ハンガリーソユーズ36号 ベトナムソユーズ37号 キューバソユーズ38号 モンゴルソユーズ39号
有人ミッション
1978年2月3日ウラジミル・レメックオールドリッチ・ペルチャーク
1978年6月27日ミロスワフ・ヘルマシェフスキゼノン・ヤンコフスキ
1978年8月26日ジークムント・イェーンエベルハルト・ケルナー
1979年4月10日ギオルギー・イワノフアレクサンドル・アレクサンドロフ
1980年5月26日ファルカシュ・ベルタランマジャーリ・ベーラ
1980年7月23日ファム・トゥアンブイ・リエム
1980年9月18日アルナルド・タマヨ・メンデスホセ・ロペス・ファルコン
1981年3月23日ジェクテルデミット・グラグチャマイダルジャヴィン・ガンゾリグ
1981年5月14日ドゥミトール・プルナリウドゥミトール・デデュ
ルーマニアソユーズ40号
1982年6月24日ジャン=ルー・クレティエンパトリック・ボードリー
フランスソユーズT-6
1984年4月2日ラケッシュ・シャルマラビッシュ・マルハトラ