インスブルック市電
[Wikipedia|▼Menu]

インスブルック市電

インスブルック市電の主力車両・フレキシティ・アウトルック
2009年撮影)
基本情報
国 オーストリア
 チロル州
所在地インスブルック
種類路面電車
路線網8系統(2023年現在)[1]
開業1891年(蒸気鉄道)
1905年(路面電車)[2]
運営者インスブルック交通・シュトゥーバイタール鉄道会社(ドイツ語版)[2]
使用車両フレキシティ・アウトルック(ドイツ語版)[2][3]
路線諸元
軌間1,000 mm[2]
電化区間全区間
電化方式直流900 V
架空電車線方式[2]

路線図


テンプレートを表示

インスブルック市電(インスブルックしでん、ドイツ語: Strasenbahn Innsbruck)は、オーストリアの都市・インスブルック市内に存在する路面電車2023年現在はインスブルック交通・シュトゥーバイタール鉄道会社(ドイツ語版)(Innsbrucker Verkehrsbetriebe und Stubaitalbahn GmbH、IVB)によって運営されている[2][4]
歴史
蒸気鉄道から路面電車の開通まで

19世紀後半、各都市を結ぶ鉄道網の開通により、インスブルックには多数の人が訪れるようになり好景気に沸いた。そんな中、1889年ドイツアウグスブルクの実業家たちはインスブルックからハル・イン・チロルへ向かう蒸気を動力源にした鉄道路線の建設の認可を得た。そして1891年6月1日に最初の路線となる全長12.1 kmの単線区間が開通した。この路線はベルクイーゼル(ドイツ語版)からインスブルック市内中心部を経由し、ハル・イン・チロルへ向かう路線で、開業に備えて4両の蒸気機関車、9両の客車を導入した。運営組織としてインスブルック-ハル・イン・チロル地方鉄道(ドイツ語版)(Lokalbahn Innsbruck?Hall in Tirol、L.B.I.H.i.T.)が立ち上げられ、以降同社は利用客の増加やそれに伴う列車の増発に応じて車両の増備を実施した[2][5]

一方、1900年にはインスブルック低山鉄道(ドイツ語版)(Innsbrucker Mittelgebirgsbahn、IMB)がインスブルック市から路線建設の認可を受け、同年6月27日にベルクイーゼルとイグルス(ドイツ語版)を結ぶ非電化路線を開通させた。この路線は最大46 という急勾配が存在しており、先に開通したインスブルック-ハル・イン・チロル地方鉄道のものより強力な蒸気機関車が導入された。列車の運営については同社が担当していた[2][6][5]

また、1904年にはインスブルックとシュトゥーバイ渓谷(ドイツ語版)を結ぶ登山鉄道シュトゥーバイタール鉄道も開通した。同路線もまた運営はインスブルック-ハル・イン・チロル地方鉄道に委任されていた一方、こちらは当時の同社やインスブルック低山鉄道の路線と異なり、開通時から電化(交流電化)が行われていた[2][7]

その後、インスブルック-ハル・イン・チロル地方鉄道は翌1905年6月15日に同社初となる電化路線をインスブルック中心部に開通させ、同年11月18日にも延伸が実施された。これらの区間も利用客は想定より増加し、開業時に導入された電動車に加えて翌1906年には付随車の増備も行われた。その後も引き続き延伸が行われた一方で既存の路線の電化工事も進められ、1910年1月6日をもってインスブルック-ハル・イン・チロル地方鉄道から蒸気機関車が牽引する列車は姿を消した。また1909年には系統番号の導入も実施されている。そして1911年12月30日に行われた延伸により、インスブルック-ハル・イン・チロル地方鉄道は全長11.8 km、4系統の路線網を有する事業者となった[2][5]
二度の世界大戦を経て

第一次世界大戦中は利用客が急増した一方で予備部品の不足や財政難という課題を抱え、1920年には系統数が減少する事態となったが、一方で利用客が多い路線については複線化工事が施工された。終戦後は再度系統の増設や延伸が行われるようになり、世界恐慌の勃発まで輸送力の増強策が積極的に実施された。一方、同時期の1927年にはインスブルック低山鉄道がインスブルック-ハル・イン・チロル地方鉄道に吸収合併されたが、それに先立つ1924年からは付随車客車)を用いた両路線の直通運転が行われるようになった。そして1936年6月28日、長らく非電化のまま残されていた旧・インスブルック低山鉄道の区間の電化が行われ、同路線向けに主電動機を増設した車両が導入された[2][4][6][5]

オーストリアのナチス・ドイツへの併合以降、インスブルック市電の路線網は都市計画に左右されるようになり、1939年には新規橋梁の建設に伴いハル・イン・チロルへ向かう一部区間の廃止が行われた一方、1940年には市内を走る環状線の完成により一部系統の経路変更が行われた。また、第二次世界大戦中の1941年、インスブルック-ハル・イン・チロル地方鉄道は路線バスの運営事業者と合併し、社名をインスブルック交通(Innsbrucker Verkehrsbetrieben、IVB)へと変更した。戦時中は利用客が急増したが、当時の情勢から旅客車両の増備はままならず、更に1943年以降は幾度となく空襲の被害を受ける事となった。これらの損傷は1945年5月5日アメリカ軍の進駐やその後の終戦を経て急速に修復され、同年8月には全区間が営業運転を再開している[2][4][5]

第二次世界大戦中唯一導入された電動車・601977年撮影)

第二次世界大戦後

第二次世界大戦後、深刻化していた輸送力不足を補うため、スイスを始めとしたオーストリア国内外の鉄道・路面電車路線から譲渡された車両が1958年まで多数導入された。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:49 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef