イングリッシュ・エレクトリック
[Wikipedia|▼Menu]

イングリッシュ・エレクトリック( English Electric )は、1918年に設立された、当初は電動機を生産し、後には鉄道機関車航空機コンピュータなどを生産していたイギリス総合電機メーカーである。1968年ゼネラル・エレクトリック・カンパニーに買収された。

日本では、その前身の1つであるディック・カー・アンド・カンパニー(Dick, Kerr & Co. )から来ている「デッカー」という通称がよく知られている。
歴史2006年に撮影されたイギリス空軍キャンベラ

1918年12月 - 平和的な技術利用を目的として、下記の電気系統事業者の首脳らによりロンドンにイングリッシュ・エレクトリック社(The English Electric Company Limited)が設立される。この名称は最後まで変更されなかった。1921年3月まではコヴェントリー社のマンセル(J. H. Mansell)、ディック社のラザフォード(W Rutherford)、フェニックス社のパイバス(Percy John Pybus)が共同経営した。

1918年末 - コヴェントリーを本拠とするコヴェントリー兵器社(Coventry Ordnance Works)の全株式を取得し子会社化。同社は1925年に一旦廃業するも、1927年に元従業員によって再度設立。

1919年 - プレストンを本拠とするディック・カー・アンド社(Dick, Kerr & Corporation)の全株式を取得し併合。動力部門はイングリッシュ・エレクトリックに引き継がれ、1930年に廃止された。

1921年 - ブラッドフォードを本拠とするフェニックス・ダイナモ・マニュファクチュアリング社(Phoenix Dynamo Manufacturing Company)の全株式を取得し子会社化。1923年6月11日をもって廃業。


1919年 - シーメンス・ブラザーズ・ダイナモ・ワークス社(Siemens Brothers Dynamo Works Limited)のスタフォード工場を買い取る。

1921年3月 - パイバスが代表取締役社長に就任。

1926年4月 - パイバスが会長に就任。

1926年 - ディック社とフェニックス社が第一次世界大戦中から設けていた航空機部門を、最後のキングストン飛行艇(P.5 Kingston )を送り出して廃止。

1926年 -ゼネストと鉱山労働者のストライキが同時期に発生し、経営危機に陥る。アメリカウェスティングハウス・エレクトリックの資本支援を受け、財政を大幅に改善して1929年までに持ち直す。

1927年 - パイバスが退任し、ウィリアム・ライオネル・ヒチェンス(William Lionel Hichens)が臨時で社長に就任する。

1930年 - 電気製品の製造をブラッドフォードに移転する。路面電車、バスの車体、鉄道車両の製造事業はプレストンに残される。

1930年6月 - 新しい取締役が4人任命される。

1930年7月末 - ヒチェンスが退任し、ホルベリー・メンスフォース(Sir Holberry Mensforth)が臨時で社長に就任する。

1930年10月 - メンスフォースが会長となり、ジョージ・ホレイショ・ネルソン(George Horatio Nelson )が社長に就任する。

1930年12月30日 - プレストン工場が閉鎖される。

1931年 - 本社をスタフォードにうつす。このときスタフォードとブラッドフォードで家電の製造を始める。

1930年代 - サザン鉄道電化プロジェクトに設備を供給し、電気鉄道事業で有名になる。

1933年7月初旬 - メンスフォースが会長を辞任し、ネルソンが社長と会長を兼任。メンスフォースは取締役員として残る。

1935年5月 - ハンドレイ・ページ社と航空機生産のライセンス契約を結ぶ。

1939年 - ランカシャーのセームルズベリー(Samlesbury )に「影の工場」(shadow factory )を建設し、ハンドレイ・ページ社が開発したハムデンハリファクスを製造する。

1942年 - 航空機用エンジンメーカーのネイピア・アンド・サンを買収して子会社とし、ネルソンの子であるH・G・ネルソン(H. G. Nelson)を同社の社長につける。再度航空機部門を設立する。工場はハリファクス製造用に転用される。

1944年12月 - 6月にウェストランド社を辞めていたウィリアム・エドワード・ウィロビー・ペッター(William Edward Willoughby Petter)を主任設計者として迎え入れる。同時にペッターの案よりキャンベラ爆撃機の開発を開始。

1945年4月 - 主要工場4つに25,000人を雇用する。

1946年 - マルコーニ社(Marconi Company )を買収。

1947年 - ウォートン飛行場(Warton Aerodrome )跡に設計事務所を拡張移転し、ライトニング戦闘機の開発を開始。

1955年 - 機関車製造を行ってきた、バルカン・ファウンドリーとロバート・スティーヴンソン・アンド・ホウソーンズ(Robert Stephenson and Hawthorns )を買収。またこの頃イングリッシュ・エレクトリックは蒸気タービンも製造していた。

1958年 - 航空機事業部門をイングリッシュ・エレクトリック・エイヴィエーション社(English Electric Aviation Ltd. )に分社化。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:24 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef