このページ名「イングランドのカウンティ」は暫定的なものです。
議論はノートを参照してください。(2007年11月)
イングランドのカウンティ(英語: county of England)は、地方行政ならびに政治的または地理的な分界を目的としたイングランドの地域区分である。歴史的に制度変更があったこともあって時期・時代もからんで、州、郡、県などと様々に訳される。現行カウンティの多くがアングロサクソン王国などの古い区分に由来する。
各区分の名前、境界、機能は近代において特に大きく変化し、19世紀以後行われた一連の地方制度改革によりカウンティという語の正確な定義は曖昧なものになっている。したがって「イングランドのカウンティ」という語は、標準的な区分名や境界が一意に決まることを意味しない。形式的には、特定の機能と時代に対応したカウンティのタイプによって典礼カウンティ(ceremonial county)、住民登録カウンティ
(registration county)、歴史的カウンティ(historic county)、イギリスの郵便カウンティ(former postal county)などと区別して呼ばれる。古代ないし伝統的な、多様性に富む39のカウンティが知られている。もともとはシャイアと呼ばれていたカウンティは、ウェセックス王国でおそらく7世紀ごろに起源をもち、9・10・11世紀を通じてイングランドの他の部分に広まっていった。その後、カウンティは時とともに地理的な参照体系として確立してゆき、人口調査の単位としては1841年まで使われた。歴史的カウンティのほとんどは、境界こそ変化させつつも以後も地方行政体制の一部である[1]。
住民登録カウンティ詳細は「住民登録カウンティ」および「en:Registration county」を参照
住民登録カウンティは1851年から1930年まで存在し、1851年から1911年までの国勢調査に使われた。住民登録カウンティはより小さな住民登録地区(registration district)より成る。住民登録地区はもともとは自治区(municipal borough)、救貧区連合(poor law unions)および後のサニタリー・ディストリクト(sanitary district)に由来する。住民登録区が歴史的カウンティの境界をまたぐ場所では、歴史的カウンティと住民登録カウンティとでは境界が異なることになった。
1889年から1974年詳細は「イングランドの行政カウンティ」、「カウンティ・バラ」、および「en:County borough」を参照
1889年、イングランドに選挙により選出されたカウンティカウンシル(county council)が設置され、それまで四季裁判所が有していた統治機能の多くがカウンティカウンシルに委譲され、その後他の権限も移行された。ロンドン・カウンティ(County of London)がケント、ミドルセックス、サリーの一部から作られた[2]。カウンティには行政カウンティ(administrative counties、カウンティカウンシルによって管理される地域)と、独立なカウンティ・バラ(county borough)の2種類があった[3]。サフォーク、サセックス、ノーサンプトンシャー、ハンプシャー、ケンブリッジシャー、ヨークシャー、リンカンシャーにはそれぞれ複数の行政カウンティがあった。
地方自治法 1888年(Local Government Act 1888)のもと、地方長官任命といった地方自治以外の目的で用いられた区割も変化した。また、ロンドン・カウンティを含む全てのバラ(管区: borough)と都市ディストリクト(urban district)は、どれか一つのカウンティに属すことが求められた。このカウンティ群は、シティ・オブ・ロンドンとブリストルという二つのカウンティ・コーポレート(county corporate)を含むという点で前述した歴史的カウンティとはすでに異なっている。