インカリールの戦い
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インカリールの戦い
戦争:
マリ北部紛争セルヴァル作戦
年月日:2013年2月22日 - 2月23日
場所: マリ共和国キダル州テッサリト圏インカリール(fr:In Khalil)
結果:不明
交戦勢力
フランス
アザワド解放民族運動(MNLA)アザワド・アラブ運動(MAA)西アフリカのタウヒードと聖戦運動(MUJAO)
アンサール・アル=シャリーア
指導者・指揮官
ブーバカル・ウルド・ターレブ(Boubacar Ould Taleb)
モハメド・ウルド・ラメダン(Mohamed Ould Ramedane)オマル・ウルド・ハマハ(fr:Omar Ould Hamaha)
フセイン・グーラム(Hussein Ghoulam)
戦力
車両30台前後[1]
損害
死亡3人、負傷4人[2]死亡3人、拘束9人[2]、自爆攻撃で死亡2人
マリ北部紛争
リスト

2012年のトゥアレグ反乱

第1次メナカ - テッサリト - アゲルホク - オンドラムブーカーヌ - ティンザワテン - タンサラーヌ - グーマコウラ - テッシー - ファテレ - ソーダル - タンハマ - キダル - タンザウテン
マリ軍事クーデター (2012年)ディジコロニトゥアレグ独立派とイスラム過激派の対立

第1次トンブクトゥ - 第1次ガオ - タンガランガボット - 第2メナカ外国勢力の介入(セルヴァル作戦とAFISMA)コンナ - ディアバリー - 第2次から第4次ガオ - インカリール - キダル襲撃1回目 - イフォガス山地(パンテル4号作戦) - ドロ作戦 - 第2次トンブクトゥ - 第5次ガオ - タンタバナワ - テグブービネヌ - イナラブ - 第3次トンブクトゥ - キダル襲撃2回目 - ベール - アネフィフ - アマクラジ - ゴシ - 第1次アネフィフ - アガデスとアーリットの襲撃 - 第2次アネフィフ - ティミアウワンヌ

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インカリールの戦いは、マリ北部紛争中の2013年2月22日マリ共和国キダル州テッサリト圏にあるアルジェリアと国境を接する村インカリール(fr:In Khalil)で発生した武装勢力どうしの戦闘で、最終局面でフランス軍が介入する。
経過

2013年2月22日、テッサリト(fr:Tessalit)に近い国境の村インカリールにてMUJAOは自爆攻撃を敢行する。2人の自爆攻撃員はMNLA戦闘員3人を殺害する。他に4人が重症を負い、車両3台が破壊される。これに対しMNLAはMUJAOを批難する[3]。翌日、MUJAOのスポークスマンは声明を出し前日の攻撃を認め、無神論者に対して聖戦を続行すると表明する[4]

2月23日朝、イスラム戦闘員達はインカリールに配置されていたMNLA部隊を攻撃する。攻撃部隊はオマル・ウルド・ハマハの統制下にあるとされ、多数の車両が町の北西部と北東部から攻撃を仕掛ける[5]。MNLAの公式発表ではMUJAOの攻撃に対して主導権を握ったとしている[6]。アザワド・アラブ運動の代表の一人が述べる所では、この攻撃に加わっていたとされる[7][2]

この運動は4時間にわたって受けたインカリールでの攻撃について、MNLAによるアラブ人への報復であると主張した[2]。これらトゥアレグ人戦闘員はアラブ人の車両の全てを押収し、取引を無効にし、そして女性を強姦した、としている[2]。MAAはMNLAとの交渉が決裂し、運動はマリ北部での大規模自治体を求めており「テロリズムをはじめ、麻薬密売や組織犯罪に対してフランスと共闘する」と明言している[2]

攻撃側は数十、おそらく車両30台程度の規模であると推定される[1]。午後にはMAAは村を制圧したとしたが、しかし、MNLAも「我が軍はインカリール北西部10q地点でイスラム戦闘員を撃退した」として勝利宣言している[2]。MAAのブーバカル・ウルド・ターレブ(Boubacar Ould Taleb)によれば、戦闘は午後まで続き「減殺」されたとしている[8]

その後MNLAは、MUJAO、MAA、そしてアンサール・アル=シャリーアを相手に戦いを継続し、午後終わり頃に戦闘が終結したと言明する[9]。MNLAのスポークスマンは「アザワド・アラブ運動は僅かな間だけその姿を表しており、その後すぐに消えた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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