イワン・パブロフ
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この項目では、ソビエト連邦の生物学者について説明しています。ウクライナのフィギュアスケート選手については「イワン・パブロフ (フィギュアスケート選手)」をご覧ください。

イワン・ペトローヴィチ・パブロフ
Иван Петрович Павлов

生誕 (1849-09-14) 1849年9月14日
ロシア帝国リャザン
死没1936年2月27日(1936-02-27)(86歳)
ソビエト連邦
ロシア社会主義連邦ソビエト共和国レニングラード
国籍 ロシア帝国 ソビエト連邦
出身校サンクトペテルブルク大学
主な業績条件反射の研究
主な受賞歴ノーベル生理学・医学賞(1904)
コプリ・メダル(1915)
プロジェクト:人物伝
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ノーベル賞受賞者
受賞年:1904年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:消化生理に関する研究

イワン・ペトローヴィチ・パブロフ(: Ива?н Петро?вич Па?влов[1]1849年9月14日グレゴリオ暦9月26日) - 1936年2月27日[2])は、帝政ロシアソビエト連邦生理学者。
生涯

リャザンで生まれる。貧しい牧師の長男であった[3]1857年、高い塀から敷石の上に落ち重傷を負い長く病床につく[4]1860年、リャザンにある教会の付属学校で、司祭になるつもりで勉強を始める[5]1864年、リャザン神学校に進学[5]1869年、リャザン神学校を卒業。1870年サンクトペテルブルク大学へ進学。イリヤ・ファデエヴィチ・ツィオンの弟子となり外科医となる。パブロフは両利きであったため、手術が上手であったらしい。1876年、軍医学校に進学。1879年、医師の資格を取得[3]。医師ボートキンの生理学研究所に就職[6]1881年、セラフィマ・ヴァシリエヴナ・カルチェフスカヤと結婚。1883年、博士の学位を取得[7]1884年から1886年までドイツに留学し、ライプチヒ大学のルドウィッヒ教室及びブレスラウ大学のハイデンハイン教室に学ぶ[3]

1888年、消化生理学研究を開始[6]1890年、軍医大学校の薬理学教授に就任[6]1891年、実験医学研究所の生理学実験室の長となる。1893年アルフレッド・ノーベルより、医学研究所の規模を倍にできる額の寄付を受け取る。1895年、軍医大学校薬理学教授から生理学教授へと配置換えになる[4]1897年、『主要消化腺の働きに関する講義』を出版。同書は1899年、ドイツ語訳される[4]1902年唾液が口の外に出るよう手術した犬で唾液腺を研究中、飼育係の足音で犬が唾液を分泌している事を発見。そこから条件反射の実験を行う。行動主義心理学古典的条件づけ行動療法に大きな影響を与えた。初期には消化腺の研究を行い、1904年ノーベル生理学・医学賞を受賞。ロシア人として初のノーベル賞受賞者となった。ノーベル賞授賞式では消化腺の話題よりも条件反射無条件反射に関する演説を行った。1907年ロシア科学アカデミーの会員に選出される。1910年に研究用の防音効果を備えた研究室「沈黙の塔」の建設を始める[4]

その後ロシアは内戦状態に陥り、1917年にボリシェビキ党が政権を握る。ボリシェビキ政権にノーベル賞の賞金を没収される。1920年6月、生活に困窮したパブロフはボリシェビキ政権に対し、国外移住の希望を伝える手紙を送る。手紙を読んだウラジーミル・レーニンは、偉大な科学者の国外移住を避けるため、パブロフに対する全面支援を命令。

1923年、『高次神経活動の客観的研究』を出版。1924年、レニングラードの洪水でパブロフの犬が溺死しかける。この事件をきっかけに、犬に固定されていた条件反射が変化したり消滅していることを発見。これにより「実験神経症」の研究を開始。1927年、『大脳半球の働きについて』を出版。1929年、コルトゥシュにて実験遺伝学研究所に着工。1935年、パブロフは第15回国際生理学会を主催。スコットランド人生理学者ジョージ・バーシャーがパブロフのことを「世界生理学会の王子」と7カ国語で演説し、聴衆から拍手喝采を受けた。

晩年は睡眠や本能などを研究する傍ら、再教育を考えていたウラジーミル・レーニンと親交を結び、条件反射の発見は「全世界の労働者階級にとって重大な意義をもつ」と賛辞が与えられた。2度目の肺炎の発作の後に死去。時間厳守をし、毎日運動をするなどの規則正しい生活を生涯続けたとされる。

1950年、パブロフ生理学の再評価のためにソビエト連邦科学アカデミヤとソビエト連邦医学アカデミヤの合同会議が開催される[6]
犬を使った実験及び、実験内容の倫理的問題パブロフ博物館にあるパブロフの犬

一般的に「パブロフの犬」としてよく知られる実験である。犬のほおに手術で管を通し、唾液の分泌量を測定した。ベルを鳴らしてからエサを与える事を繰り返した結果、ベルを鳴らしただけで唾液を出すようになった。

さらにベルだけを鳴らし続けると次第に反応は消えていくが、数日後同様の実験をしても犬は唾液を分泌する。前者を『消去』と言い、後者を『自発的回復』と言う。

なお「パブロフの犬」というと単数の印象を受けるが、実際には数百頭いたらしい。また、実験内容には倫理的問題を内包するものもある。以下は書籍「罪なき者の虐殺(著 Hans Ruesch)1991年発行」より引用。

パブロフは、動物に精神的苦悶を生じさせる新たな方法をつねに考案する面で、非常な独創性を示した。

ある例では、レニングラードの大洪水を経験したイヌを使用した。彼らは水が流れ込んできたとき、犬小屋に閉じ込められていて、多くは水の上にかろうじて頭だけを出して何日も耐えていたのである。パブロフはこれらの動物を檻に入れて、その下に水を流し、洪水が戻ってきたと思わせた。


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