イワイガワ
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イワイガワ
メンバー岩井ジョニ男
井川修司
結成年
2003年
事務所浅井企画
活動時期2003年7月7日 -
師匠タモリ(ジョニ男)
旧コンビ名バカ王子(岩井)
現在の活動状況テレビ・ライブ・環境省のVTRなど
芸種コント
ネタ作成者井川修司
過去の代表番組おもいッきりDON!1025
公式サイト ⇒公式プロフィール
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イワイガワは、浅井企画に所属する日本のお笑いコンビ2003年7月7日結成。コンビ名は2人の苗字を組み合わせたもの。
メンバー
岩井 ジョニ男(いわい ジョニお、本名:岩井 喜孝〈いわい よしたか〉
1974年4月27日 -(50歳))[1]
ボケ担当。千葉県白井市出身。身長170 cm、血液型B型。1999年結婚、一女の父[2][3]
井川 修司(いがわ しゅうじ、1973年5月17日 -(51歳))
ツッコミ・ネタ作り担当。兵庫県神戸市出身、神戸市立工業高等専門学校卒業。身長176 cm、血液型AB型。ジョニ男とは正反対に、現代的なファッションに身を包む。
芸風

ジョニ男が扮する「ベタなサラリーマン」「若者文化を知らない中年男性」「空気が読めない司会者」などに井川が関西弁でツッコミを入れるコントを主に演じ、初単独ライブではVTR・フリートーク・漫才・ブラックなオチのネタも披露している。

ジョニ男が演じるキャラは様々な状況で「ナイストゥミーチュー」「ママチェック」「
オイルショック」といった用語を駆使し、井川を困惑させる。

来歴・人物・エピソード
ジョニ男
特徴整髪料でピッチリ撫でつけた七三分けの髪型に黒縁眼鏡、チョビヒゲ、背広に幅広のネクタイを合わせるという所謂『昭和サラリーマン』風の出で立ち。スーツ姿は「1983年、シリアス・ムーンライトツアーを敢行していたデヴィッド・ボウイ」がモチーフらしい。大型自動二輪車免許を持っている。
来歴タモリの元付き人[4]。組む以前はコンビ「バカ王子」として活動していた。
芸風2008年頃からチョビヒゲを生やしている。ジョニ男曰く「最近ちょいわるおやじが流行っているから、『チョビヒゲオヤジ』も流行ると思って」。「あ!」のジェスチャー「あ!」と叫ぶ恒例のアクションがあり、「シリアスムーンライト」という名前がある。右の手足を上げ左の手足を後方に伸ばす様は漢字の「呉」を想起させる。ネタ中では相方・井川も「あ!」とやるパターンもある。カンコンキンシアターなどで松山千春柴田恭兵小泉純一郎田原俊彦・『おそ松くん』のイヤミなどのものまねを披露している。特技は鼻ベース。2010年2月17日、初単独DVDがリリースされた。
エピソードタモリの自宅に赴き、弟子入りを懇願するも拒絶された。だが「拒絶されたことに感動」したジョニ男は、そこから計49日間連続でタモリ宅へ通い続けた末に晴れて弟子入りを許され、付き人・運転手となった。ちなみにジョニ男が来て1ヶ月経った頃、タモリはジョニ男を家に上げて正式に断ったにも拘らず翌日もタモリ宅を訪問したため、タモリから「なんで来たの? 昨日、言ってることわかった?」と言われている。付き人・運転手という縁から、タモリが司会を務める『タモリ倶楽部』のコーナー「空耳アワー」のVTRに役者として出演する機会がしばしばあった(例:ブルース・マグースの『恋する青春』のVTRでは、「タモリマネージャー岩井喜孝」として出演)[5]タモリがとても温厚な性分でもあるため、怒られたことはほぼなかったが、過去に付き人の運転手をしている時にプライベートでゴルフに行った際、タモリを乗せた車で運転中、ジョニ男が道を間違えた時にタモリに「仕事は遅刻してもいいが、プライベートは遅刻するなっ!」と激怒されたことがある。タモリが自分の所有する船に乗った際、船のロープを十分括り付けていなかったせいでタモリを真冬の海へ落としてしまったことがある。スーツはリサイクルショップで調達している。付き人時代、1998年8月19日放送『コサキンDEワァオ!』に「タモリさんの付き人・怖がり金子君の1年先輩の岩井さん」として出演した(金子へは内緒で『スクリーム』のマスクをかぶりトーク中のスタジオに乱入するというミニドッキリ)。マスクを外して放った第一声は「あ!」であった。弟子がおり、2017年頃より自分たちが司会のライブにいわば特権的に出演させているが駆け出しで方向性などが一切定まっていないこともあり、芸名も名付け親の岩井が模索中で出る度に違う芸名となっている状態。2022年3月5日、ペイペイドームで行われたプロ野球オープン戦福岡ソフトバンクホークス千葉ロッテマリーンズセレモニアルピッチへ登場した[6]。飲み会などの場で明石家さんまから気に入られ、さんまは「なんとか世に出してやりたい」との思いから新番組であった『さんまのお笑い向上委員会』に何とかねじ込めないかと模索。フジテレビが無名であった岩井のパネラー出演を承諾すると思えなかったため、「勝手に見学に来た」という体裁でスタジオ内のモニターの横に立たせ、収録中突然岩井に振って持ちネタをやらせるという強行手段を取った。そこでウケたためその場面がオンエアされ、以降も同様に出演し続けられた。当時はノーギャラで、さんまがポケットマネーから出演料として渡していた。後にパネラー出演まで昇格、準レギュラーとして同番組へ出演を続ける。モニターの横は主に無名の若手芸人へチャンスを与える場として『モニター横芸人』という名の枠で受け継がれ、しゅんしゅんクリニックPワタリ119・みやぞん(ANZEN漫才)・バッドナイス常田あかつサンシャイン池崎平野ノラお見送り芸人しんいちおばたのお兄さんなどが名を広める機会を得た。
井川
特徴かりあげ風の髪型と顎髭が特徴で、ラジオ番組では眼鏡や帽子を着用していることが多い。アクティブに見える外見とは反対に、あまり外には出ないインドア派を自称している。下戸のため宴席嫌いとしても知られている。ジュニアオリンピック110メートルハードルでの出場歴を持つ。測量士補資格を持っている。
来歴過去には浅田美代子[7]佐藤浩市三國連太郎の付き人をしていたことがある。コンビを組む前は俳優として映画、ドラマ、Vシネマ等に出演している。テレビドラマ版『ナニワ金融道』への出演をきっかけとして、同シリーズにおいて緒形拳らに関西弁の方言指導を務めた。
エピソード『あいのり』への出演経験があるも、都合で緊急帰国となり女性メンバーからの告白を断った。オンエア回数は3回だった。長らく1976年生まれだと公表してきたが、2010年2月17日発売の初単独DVDにて1973年生まれであると明かされた。かつて付き人をしていた浅田からは「イガピー」と呼ばれていた。ある日の午前中に浅田を激怒させ、クビ覚悟で謝罪しに行ったものの、午後には井川に対して激怒したこと自体を忘れてしまっていた。「翌日忘れるのならまだ良いが、午前のことを午後には忘れられてしまうのが辛かった」と述べている(『コサキンDEワァオ!』における発言)。またある日には、浅田が探偵役の2時間ドラマにおける大詰めの長台詞(所謂断崖シーン)の撮影終了後、帰京の最中だった運転中に浅田からの「ねえイガピー、犯人って誰だったの?」という発言を聞いて耳を疑った。上記の通り「井川でしか知り得ない浅田の(失敗)エピソードが井川によって外部にバラされている」ことを『笑っていいとも!』のテレフォンショッキング(2009年12月15日放送分)の生放送中にタモリ・スタジオ観覧者・視聴者へ浅田自らバラしていた。同じく付き人をやっていた三國連太郎には「しゅうちゃん」と呼ばれていたが、三國の付き人となって1ヶ月後に「しゅうちゃん、名前は何て言うの?」と尋ねられ驚いた。学生時代から女性関係で不遇な目へ多々遭った経験により、女性に対して警戒心が厳しくなった。その感性はカンコンキンシアターで「井川の闇シリーズ」として活かされている。また、「生涯独身」をしばしば公言している。実父の満治は出身地である長崎県雲仙市に在住し、長崎中心にローカルタレントとして芸能活動を行なっている[8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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